台湾の総裁選挙2024 夜学会302
台湾の総裁選挙が来年1月行われる。1990年代、李登輝氏が民主化のきっかけとなる国民選挙による総裁選を決断してから8回目。台湾は民主化して四半世紀以上の経験を積んできた。台湾の総統は英語でPresident。大統領である。過去の総裁選は、李登輝、陳水扁(民進党)、馬九英(国民党)、蔡英文(民進党)と国民党と民進党が交互に政権を担当してきた。今回の選挙でトップを走るのは民進党主席を引き継いだ頼清徳、次いで国民党の侯友宜、そして柯文哲が後を追う。
頼清徳は医者から政界に転じ、台南市長を経て行政院長(首相)を経て副総統、侯友宜は警察官僚から、2018年に新北市長に当選、22年11月再選されたばかり、5月に国民党の候補に指名された。柯文哲も台北大学医学部を出た医者。2014年に無所属で台北市長に出馬、民進党の支援を得て当選した。この年は国民党政権下で「ひまわり学生運動」が起き、反国民党の票を集結した。再選後に民衆党を立ち上げ主席となった。その後8月に鴻海の創業者、郭台銘が無所属で出馬表明し、候補者は4人となった。
日本ではウクライナ戦争後、台湾海峡危機が叫ばれる状況となっているが、台湾では「統一」を党是とする国民党に不利に働いている。3党とも中国が掲げる一国二制度に反対、現状維持を主張している。現状維持とは「独立」でも「統一」でもない立場。中華民国は1971年の日中国交により国交を断交。同年、国連の代表権も失った。1979年の米中国交回復により、アメリカとも国交がない。中国が国交交渉の際、「二つの中国」を認めない方針を貫いたため、台湾と国交のある国は13カ国のみ。
第二次大戦後、日本は台湾の領有権を放棄、当時、中国の国民党政権が領有を始めた。日本による統治は日清戦争からで約50年続いた。国民党は大陸での共産党との戦いに敗れ、台湾に逃れて、台北市を臨時首都に制定し、その後、蒋介石による一党独裁政権が続いた。1975年、蒋介石総統の死去に伴い、実権は長男の蒋経国に移った。1985年、総統の世襲はしないと発言、翌年、戒厳令を解除し、国民党以外の政党を黙認するなど弾圧政治から大きく舵を切った。また内省人である李登輝を副総統に抜擢したことでも後年、評価されるようになった。
台湾政治の民主化は李登輝から始まった。1988年、憲法に従い副総統から総統に就任したが、任期は90年まで。国会議員による総統選挙は曲折があったが、その選挙の直前に歴史的な学生運動が起こる。後に野百合運動と命名された。3月16日、台湾の学生9人が民主化を求めて、中正記念堂前広場で座り込みを始めた。学生の数は翌日には200人となり、18日は数千人規模に膨れあがった。民進党も集会を呼びかけ、数万の群衆が集まった。学生たちは李登輝に四つの要求を突き付けた。①新たな国会の創設②新たな民主憲法の制定③国是会議の招集④民主改革のスケジュールつくりーを要求した。20日に学生数は5000人に達していた。
21日には対抗馬もなく、李登輝は総統に選出された。その日の夜8時から総統府で李登輝は学生たちの要求に耳を傾けた。そしてその要求をほぼ全面的に受け入れた。前年の1989年6月4日、北京では天安門事件が起こり、民主化を求める学生に人民解放軍が銃弾を放っていた。台湾の国民党政府はある意味で、中国共産党政府と相似形だった。一党独裁体制である。実は台湾と大陸の民主化の岐路は1990年の野百合運動にあったことを忘れてはならない。