10月7日、ハマスによるイスラエルへの大規模な奇襲攻撃が始まった。西側陣営は一斉にイスラエル支持を打ち出した。ウクライナに次いで再び火薬庫の日が吹いた。背景に何があるか分からないが、イスラエル政権は報復攻撃を繰り返し、ガザを再占領する構えだ。17日にはガザのキリスト軽病院が爆発、ハマス側はイスラエルによる空爆だとし、400人以上が殺されたと発表、イスラエル側は関与を否定した。
 ガザとヨルダン川西岸は、イスラエルによる侵攻で、住居を失ったパレスチナ人たりが逃げ込んだ地域で、人口密集地。イスラエル側はこれまで、コンクリート製の隔壁を巡らせて、人々の出入りを完璧に遮断、戦争開始後は食糧や水、電気の供給が止まっている。
 この地域は第一次大戦まではオスマントルコの領地。トルコが戦争に敗れて、イギリスの委任統治となった。イギリスはユダヤ人に国土建設を約束、アラブ側にも独立国家を約束するなど二枚舌外交を行ってきた経緯がある。ヨーロッパやロシアで迫害されたユダヤ人が本格的に入植するのは第一次大戦後。最初は平和裏に乾燥地帯を灌漑するなど農地を開発していった。戦後、国連がパレスチナの分割と決議すると、翌1948年、イスラエルは建国を宣言。第一次中東戦争を仕掛け、パレスチナ人の住む地域を次々と侵食、パレスチナ人を二つの地域に押し込めている。

 ユダヤ人が自分たちの国をつくろうと言い出したのは19世紀後半。シオニズム運動という、シオンとはエルサレムと同異議語。オーストリア人記者テオドール・ヘルツルが訴えた。
 パレスチナの語源はペリシテ人の土地という意味で、旧約聖書の時代から存在する。現在のイスラエルとパレスチナに加えて、ヨルダン川東域をも含めた領域を示していた。そのパレスチナに、モーゼが引き連れたエジプトのユダヤ人やってきて、初めて国家を建国した。ユダヤ人からすれば、約束された地、カナンということになるのだ。ユダヤ人はペシリテ人を蹴散らしてイスラエル王国とユダ王国という二つの国をつくり、数百年統治した。
 国家を失ってからもユダヤ人はこの地に住む続けたが、西暦130年代にローマ帝国によって追放され、ユダヤ人は流浪の民となる。

 エルサレム(Jerusalem):Shalim or Shalem was the name of the god of dusk in the Canaanite religion, whose name is based on the same root S-L-M from which the Hebrew word for “peace” is derived (Shalom in Hebrew, cognate with Arabic Salam).The name thus offered itself to etymologizations such as “The City of Peace”.