スイスのレファレンダムとイニシアチブ
伴武澄
20230428

恥ずかしながら「レファレンダム」(referendum)という英単語を知ったのは、ほぼ1年半前である。イギリスに留学したという後輩に偉そうに「おまえ、住民投票って英語でなんというか知ってるか」などと聞いて赤恥をかいたことでいまでも忘れないでいる。

イギリスのブレアが政権がスコットランドとウェールズで議会開設の是非を問う住民投票を行ったことを調べていた時のことである。イギリスのマスコミのホームページには「レファレンダム」という特集コーナーが必ずあった。

●動き出した日本の住民運動
 日本でも「住民投票条例」が自治体にあり、条例案の直接請求ができることになっている。
 一昨年前の秋、神戸市民が空港建設の是非を問う住民投票を求める署名運動を行い、徳島でも吉野川堰の建設の是非を問う同じような署名運動を行っていた。神戸市民の運動は30万人の署名を集めたにもかかわらず、市議会がこの住民投票条例を否決し、徳島ではまさに住民投票が始まった。
 従来、こうした動きは革新を名乗った勢力が「住民」の名を借りた運動のように受け止められて、うさん臭かった。最近ではようやく普通のサラリーマンや主婦が動き出している。とはいえ、政府の側は依然としてほとんど住民運動を旧来の発想からしかとらえず、無視する方向にある。
 逆にスイスの場合、この国は直接民主主義ではないかと見まがうほど市民の政治参加が要求される。スイスの憲法や23の州憲法の特徴は、多くの条項がレファレンダムとイニシアチブに割かれていることである。住民投票(国民投票)と住民(国民)による議案提出権だ。
 直接民主主義が徹底されている国柄だともいえるのだが、ぜいたくなことにあまりに多くて、市民から拒絶反応が出るくらいだということである。スイスと日本の彼我の違いの一部を紹介したい。

●義務化される国民投票
 スイス連邦の場合、国民投票は「義務的レファレンダム」と「任意的レファレンダム」に分かれる。
 前者は憲法の改正や安全保障にかかわる決定、超国家的共同体への加盟を決める際に国民が直接投票して、有効得票の過半数を得たうえで、過半数の州の賛成を得なければならないことになっている。
 たとえば1992年12月には「欧州経済領域に関する協定」が国民投票にかけられた。将来のEU加盟の是非を問うレファレンダムだったが、スイス国民はこれを僅差で拒否した。
 憲法改正は日本でも当然、国民投票にかかる案件だが、日米安保は国会の議決だけで決まった。スイスだと、たとえば日本で最近あった「ガイドライン法案」のように安保の概念の質的変化を伴う案件は当然「義務的レファレンダム」の範疇に入ってもおかしくないのだと思う。
 やさしくいえば、スイスでは国の大きな舵取りはすべて国民が直接投票して決定するということになる。国枝氏によると、スイス連邦が発足してほぼ150年で義務的レファレンダムが134件あり、96件が可決され、38件が否決された。重ねて言うがこれは国民の請求ではなく、義務なのだ。

●議会決定の45%を覆すパワー
 一方、「任意的レファレンダム」は5万人以上の署名があれば請求できる国民投票で、法律の制定後や公布後でも90日以内ならば、政府の決定を住民の過半数の意志で覆すことができるというものである。簡単にいえば、法律の「クーリングオフ」制度ともいえる。
 ここには、国民に選ばれた代議士が決定することは「すべて国民の意思である」などとする硬直した考えはない。同じようにこの150年間に44件が採択され、55件が否決された。連邦議会が決定した事柄の45%を国民が投票で葬り去ったといえば言い過ぎだが、国民が異議を申し立てた案件にかぎれば、そういうことになる。
 レファレンダムが近づくと、新聞には賛否を論じる意見広告が多く掲載され、町にはポスターが貼られる。有権者の手元には分厚い資料が届けられて、勉強する機会が与えられる。ないものねだりではないが、なんともうらやましい制度ではあるが、一方で国民に相当な知的レベルを要求する制度でもある。

●法律は解釈するものではなく、改正するもの
 ここらで断りを入れなくてはならないのは、筆者はスイスの政治制度の専門家でもなんでもない。スイスという国に関してはチューリッヒに1泊した経験しかない。すべては国枝昌樹氏「地方分権のひとつの形」(大蔵省印刷局)を読んでの受け売りである。
 とはいうものの、150年前に形成された永世中立国の政治制度をここまでやさしく分かりやすく解説した書物はほとんどないと思う。このコラムではスイスの連邦レベルのレファレンダムについてだけ解説した。戦後われわれは国の在り方としてスイスに対して「永世中立国」としての断面だけしか見てこなかった。
 この本ではもちろん「国民皆兵」の歴史についても詳しく触れられている。一方で「外国人」問題でも先進的取り組みが紹介される。コラムのタイトルを「レファレンダムとイニシアチブ」としながら、イニシアチブについては説明できなかった。すべてを紹介できないのが残念だが、筆者が読みながら棒線を引いた二つの文章を最後に紹介する。
 「スイスの法曹界には、一般的に、憲法、法律などの条文について解釈論を戦わせ、その上で実生活に適応させていこうとする傾向は希薄である。そうではなく、憲法や法律に不都合な部分や、予想していなかった事態が発生したならば、改憲、改正、あるいは新規の立法を行うことで問題を解決しようとする姿勢が鮮明だ」
 ジュネーブ州の憲法には「州議会の立法は、公布後40日以内に7000人以上の有権者が要求する場合、州民投票にかけられる。州議会が決めた緊急性を持つ例外的法律は対象外であるが、州の財政負担として12万5000スイスフランないし、毎年6万スイスフランを要する法律は緊急性を主張できない」
 ニューヨークの小関さんから以下のようなメールをいただいた。ジュネーブの人口に関して【お詫びと訂正】をします。
 地方分権に関する記述中にジュネーブがスイス最大の都市だと書いてありますが、これは何かの間違いではないかと思います。日本で言う都道府県はスイスではカントンと言います。以下に簡単な数字を並べます。

ジュネーブ市
17.5万人(40万人)
282平方Km

チューリッヒ市
100万人(120万人)
1,729平方Km
カッコ内はカントン(州)

ジュネーブ市のウェブ・サイトには1870年にチューリッヒに抜かれるまでジュネーブがスイスで一番人口の多い都市だったと書いてあります。
 また、現在住民の40%弱が外国籍の人で、国籍は約80にも上っており、当然ながら少なくともスイスで(世界的に見ても飛び抜けているとは思いますが)一番外国籍の比率が高い都市になっています。因みに2番目に外国籍の人口が多いのはイタリアとの国境のティッチーノで約27%。他にバーセル・カントンとヴォー・カントンが25%超となっており、最も少ないウリ・カントンでも8%程度は外国籍のようです。日本では考えられませんね。