夜学会で以前、移民と国家の理念について話したことがある。日本に働きに来るアジアの研修生の実態はほとんど報道もされないし、知られていない。高知でそうした研修生のお世話をしている女性に話を聞いた。かつての研修生の実態は低賃金労働者だったが、どうやら今ではそうでもないらしい。あくまで高知県での話である。日本人でも時給900円は安い方でもない。

「彼女たち、時給900円をもらって、けっこう稼ぐ子もいるのよ。多い人は月24、5万円も稼ぐのよ。日本人よりたくさん貰っている人も少なくない。これまでカンボジア、フィリピン、中国、ベトナムの人のお世話をしたけど、ベトナム人は嫌い。素直でないのよ」

くだんの研修生のお世話をしている女性はほとんど人種の偏見を持たない珍しい日本人なのだが、名指しで「あの国の人」と言って区別しようとする。人柄に関しては個人的問題であって、国の問題ではないと考える僕にとっては悲しい話である。

明治このかた、多くのアジア人留学生が日本にやってきた。世界はまだ弱肉強食の時代だった。近代化で首一つ抜きんでていた日本に学びにきたのだ。アジアは貧しかったし、普通の日本人もあまり豊かではなかった。欧米列強の植民地に甘んじていたアジアの人々には、日本へのあこがれがあり、日本の中にもアジアへの共感があったと思っている。いい意味で仲間意識があったといっていい。

2000年に書いた「150万人の外国人受け入れが自然体」というコラムにイギリス在住の読者からご意見をいただいたことがある。以下はそのメールの抜粋である。

 ヨーロッパの各国では『単一民族神話』等とは無縁に、異なった文化的宗教的背景を 持った人々を受け容れ、ホストカルチャー(例えば英国文化)の中に取り込みつつあ ります。インド系英国人もイスラム系や中国系の英国人も同じ市民として、それぞれ の文化的アイデンティティを保持したまま、英国社会に寄与する体制が作られつつあ ります。つまり彼らはきちんと働いてきちんと税金を払い、イギリス社会・経済の活性化に貢献しているわけです。
 近い将来日本でも「色の黒い人」「目の青い人」「髪の縮れた人」「少し日本 語がおかしい人」等を積極的に日本社会を構成する重要な要素として取り込む必要が あると思います。いわゆる3K労働に限らずあらゆる場面で、彼らにいわゆるヤマト 民族と一緒に働いて貰わなければ、これからの少子化・高齢化社会は立ちゆかないで しょう。管理職に至るまで有能な外国人を日本に呼び込み、彼らの力を借りて社会運 営をしていく必要があるというのが、私の現状認識です。
 つまりアジアをはじめとす る外国から頭脳労働者を含めたあらゆるタイプの労働者を受け容れ、社会を若返らせ、活を入れる必要があると思います。そしてそのためにはマルチカルチュラルな文化を受け容れるだけの柔軟性、そして社会を統合する普遍的な「力(イデオロ ギー)」がこれからの日本社会には求められるのではないでしょうか。
 ここで私が言いたいのは、今の日本には経済力以外になにか外国の青年達を惹きつけ る『理念』があるのかどうか、です。アメリカやフランスであれば『自由』『平等』『博愛』といったその国のあり様を端的に表すスローガンがあり、その理念が国 を動かす大方針を示しています。そしてなによりその理念は国境・文化の枠を越えた 普遍的なものです。若者達は『自由』という理念の下に《アメリカンドリーム》を求 めてアメリカ社会に積極的に関わっていく動機付けをされているでしょう。翻って日 本を考えると、そういう理念があるでしょうか。
 これから日本社会に貢献してくれる可能性のある『非ヤマト民族』の若者に、日本国 ・社会のために仕事がしたい、と思って貰えるビジョンを示すことがこれからの僕たちの世代の日本人の責務だと思います。そしてそのビジョンは『ヤマト民族』にのみ 限定されては意味がありません。「日本は天皇を中心とした神の国」等、全く普遍性 を持たない後ろ向きの理念・イデオロギーではお話になりません。
 天皇では国際化・ 多文化社会の中で『非ヤマト』を統合する力になり得ないのは明らかです。愚考する に、やや陳腐な気もしますが非武装大国(やや形容矛盾かもしれませんが)、絶対平和主義国家としての理念を研ぎすますことが、これから予想される多文化社会を統合 する一つの理念として考えられるのではないでしょうか。これからやって来るであろう「多文化」日本社会を統合できる何かの理念を確立する こと、それこそが21世紀の日本のあり方を決める一つの重要なファクターであると 思います。そして労働者の受け入れ以前に何か日本国のあり方を示す理念的なモデル を明らかにすることが、これから数年の政治論議の中で論じられるべきではないので しょうか。