ウクライナと屋根の上のバイオリン弾き 夜学会233
ウクライナ自体が多民族国家となっている。ロシア系、ポーランド系、ドイツ系、トルコ系、ユダヤ系など多彩だ。そのウクライナ人はアメリカに150万人、カナダに200万人いる。人口規模でいえば、アメリカのウクライナ人は日本の韓国・朝鮮人並みといえる。カナダに至ってはその数倍の存在感を示している。ロシアによる侵攻で西側からの支援が強い理由の一つとなっている。和平工作をめぐる協議では、トルコやイスラエルが前面に出てくる理由はそのあたりにありそうだ。
ウクライナが世界の穀倉地帯として名を馳せたのは19世紀。多くの農奴が存在したにも関わらず、ドニエプル川や南部ステップ地帯が開発され、穀物の生産量は飛躍的に発展した。その輸出拠点となったのはオデッサだった。小さな港湾都市だったオデッサは19世紀末には40万人に膨れ上がり、ロシア帝国でモスクワ、ペテルブルグに次ぐ第三の都市に成長した。オデッサにはギリシア、イタリア、ドイツ、ユダヤの人々が多く住みつき、ロシア革命時には人口の半分がユダヤ人だったといわれる。
19世紀末、ロシア帝国には520万人のユダヤ人が住んでおり、ウクライナには200万人の人口に達していた。ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」は、ショーレム・アレイヘムの短篇小説『牛乳屋テヴィエ』を原作としている。テヴィエとその家族をはじめとして、帝政ロシア時代のウクライナのシュテットルに暮らすユダヤ教徒の生活を描いたものである。「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人排斥のエスカレートによって、家族はニューヨークに渡るところでミュージカルは終わる。「屋根の上のバイオリン弾き」のように南ウクライナのユダヤ人の多くは、帝政ロシアやソ連の圧政を逃れてアメリカに渡った。その子どもたちがアメリカのユダヤ社会の核を築いたとされる。アメリカのユダヤ人たちにとってウクライナは「母国」に近い意識があるのも当然であろう。
19世紀のウクライナは製鉄業によっても発展した。鉄鉱石と石炭の産出に恵まれ、当時のロシア帝国全体のの生産量の43%に達し、ロシア最大の工業都市がウクライナ東部に誕生し、多くのロシア人労働者が流入した。ウクライナ人はもともと農業を好み、都市での生活を嫌がったせいもある。現在、ウクライナ東部にロシア人が多くいて、ウクライナからの独立あるいはロシアへの併合を求める背景には19世紀におけるロシア人労働者による製鉄業の勃興があることを知らなければならない。
ウクライナ人の居住国
ウクライナ 37,541,700人
ロシア 2,942,961人
カナダ 1,209,805人
アメリカ 890,000人
カザフスタン 550,000人
ブラジル 400,000人
モルドバ 375,000人
アルゼンチン 305,000人
ベラルーシ 248,000人
ドイツ 128,100人
チェコ 126,613人
イタリア 120,070人
スペイン 69,081人
ポルトガル 66,048人
ラトビア 61,589人
ルーマニア 61,350人
スロバキア 55,000人
キルギス 50,442人
ポーランド 40,000人
トルコ 35,000人
オーストラリア 37,581人
アゼルバイジャン 30,000人
リトアニア 22,488人
エストニア 22,300人
ギリシャ 14,149人
日本 1,584人
(ウィキペディアより)