2022.02.13

 高知に帰ってから11年になる。欠かさず行っているのは年末の餅つきだ。義父は、体が動けなくなるまで孫たちのため、主月の餅を送ってくれた。臼や杵だけでなく、もち米を蒸らすせいろ等道具一式が残っていて、義父の指導のもと餅つきを始めた。何回かやっているうちにすべての作業をこなせるようになった。亡き義父の供養と思って体の続く限り、続けたいと思っている。

 実はこの餅つきが保護司となる機縁となったのだから面白い。ある時、保護司をやっていた女性の友人から餅つきの道具一式を貸してほしいといわれた。保護観察の対象者たちの社会参加のために餅つきをしたいというのである。餅つきは素人ばかりではできないから、当日、指導役としてその集まりに参加した。対象者たちはみんな若かった。どこでどういうわけで道を誤ったのか分からないぐらいだった。

 後に友人にそんな感想を語ったところ、「あなたも社会貢献しなさい」と保護司になることを勧められた。定年退職後、仕事を持っているわけでもなかったので、二つ返事でオーケーを出した。

 何年も、世話すべき対象者はなかった。元新聞記者という職業がわざわいしているのではないかと自問したこともある。そんな折り、昨年7月に念願の仕事が回って来た。初心者ということでベテランの女性と二人三脚でお世話をすることになった。これはありがたかった。男女同権の時代ではあるが、毎回「母性の強さ」を印象付けられるのである。社会部の記者だったら、社会復帰が難しい問題を取材するチャンスはあったと思うが、経済部記者だったため、霞が関や企業トップばかりを取材してきた。

 人間誰でも胸に手を当てて思い起こせば、道を踏み外すような体験をしているはずだ。僕自身もないとはいえない。でも家族や先生、ご近所の人などに救われてきた。対象者との面談を続けていくうちに、日々考えさせられることは、人生のやり直しの難しさだ。普通に高校を卒業していれば、いろいろな資格試験を受けることができる。しかし、一度、中退すると、働きながらもう一度、一から勉強しなければならない。

 対象者と面談を繰り返しながら、僕は社会の何も理解しないでおじいさんになっていることに気付かされている。当たり前の社会はどこにもない。(伴武澄)