自分が旅人であることを自覚したのは学生時代。九州を旅して阿蘇の山麓に遊んだ。後に三好達治の艸千里濱という詩を読んで阿蘇の風景を思い出した。漂泊の詩人にあこがれ、旅によく出た。旅に出て思うことは故郷であり、家族のことである。僕には家族はあったが、故郷を持たなかった。親の転勤に引きずられて転々とした。仕事を始めてもやはり各地を転々とした。引っ越しなどは苦痛ではなかった。新しい土地には新しい風景や知識があった。定年の年になって高知で住むことになった。生まれた場所ではあるが故郷ではない。祖父母が住んでいて、休暇の際に帰る場所でしかなかった。定年に当たり、帰る場所に選択肢はなかった。やがて自分がこれまでの人生で一番長く住んだ場所が高知になってしまった。まだ「われひとり齡かたむき はるばると旅をまた來つ」の心境にはない。旅に出たい。(2022年2月2日)

われ嘗てこの國を旅せしことあり
昧爽あけがたのこの山上に われ嘗て立ちしことあり
の國の大阿蘇おほあその山
裾野には青艸しげり
尾上には煙なびかふ 山の姿は
そのかみの日にもかはらず
たまきなす外輪山そとがきやま
今日もかも
思出の藍にかげろふ
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望のぞみ
二十年はたとせの月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
そのかみの思はれ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齡かたむき
はるばると旅をまた來つ
杖により四方をし眺む
肥の國の大阿蘇の山
駒あそぶ高原たかはらまき
名もかなし艸千里濱