9月3日、菅首相は総裁選不出馬を表明した。「コロナ対策に専念したい」とその理由を語ったが、総裁選を直前にして、パラリンピック終了後、政局の季節となるのは決まりきったこと。菅さんが出ようが出まいが永田町や霞が関はコロナどころではなくなる。総選挙の顔としてふさわしくないとの前評判から菅下ろしは始まっていた。総裁選の看板に掲げた二階幹事長交代も果たせないまま、舞台から引きずり降ろされたというのが実態に近いはずだ。

総裁選に出ないということは9月29日をもって権力の座から下りるということだ。3週間たらずで「専念」もへったくれもないことは誰にでも分かる。「力及ばず」などもっと正直に心情を吐露すれば、世論の同情も集まったはずだ。多くの国民に反対されながら、オリンピック開催を強行し、揚げ句の果てに大きな感染拡大をいう結果に陥った。それでも政権を継続できるのだったら、その代償として全く理解できないわけではない。

すべての決定が裏目に出たのが、菅政権の末期だった。