3.11から10年目、台湾の支援に感謝 夜学会192
3月12日(金)午後7時から
場所:WaterBaseで
講師:伴
今年1月23日、台北市の「Taipei 101ビル」の上層階の窓に「日台友情」というメッセージが映し出された。日本台湾交流協会が主催した東日本大震災10年目を「日台友情年」として感謝するイベントのスタートだった。式典には台湾の李永得文化部長(文化大臣に相当)も列席した。
今年2月13日深夜に東北地方で地震が起きた際にも、蔡英文総統は翌日に「福島県と宮城県を中心とした震度6強の大きな地震が発生しましたが、日本の皆さんが無事でいることを信じています。今まで何度もお伝えしてきましたが、これからも日本を応援する気持ちが変わることはありません。日本の皆さんにとって支援が必要であれば、いつでも台湾はかけつけます。(旧正月)あけましておめでとうございます」と発信している。日本のメディアは震災10年を回顧する記事で満載だが、海外でこれほど日本のことを心配してくれる国はない。感謝しなければならない。
200億円を超える義援金、85億円の現金配布
震災から5日後の3月16日。白いズボンと白い帽子、紺色のジャンパーの背中に蓮のマークをつけた一群が茨城県の大洗町に到着した。台湾の慈済基金会(じさいききんかい)日本支部の人々が、トラックと自家用車を連ねて、被災地の人々に温かい料理を振る舞うためだ。この団体は、台湾の財団法人「佛教慈済慈善事業基金会」の日本の分会で、本部は台湾の花蓮市にあり、台湾の尼僧の証厳和尚によって1966年に設立された仏教系慈善団体だ。「慈済」とは、「慈悲為懐、済世救人」(慈悲を懐にいだき、世を救済し人々を助ける)という意味で、実践を重視して世界で慈善活動を行っている。尼僧が中心の団体だが、多くの老若男女が賛同し、各地のボランティア活動に参加している。
彼らは、夜が明ける前に東京を出発し、茨城県大洗町、岩手県大船渡・陸前高田市、宮城県石巻・気仙沼市など被害の甚大な場所に赴いて、気温が10度を下回る中、カレーライス、焼きビーフン、豚汁、みそ汁などの炊き出しを行った。彼らが届けた救援物資は数十トンともいわれている。この炊き出しは、現地で知らない人はいないが、メディアで報道されることはほとんどなかった。この団体の被災地での救済支援はこれだけではない。彼らは独自に、被災住民に直接現金を配布していたのだ。役所、公民館や集会場に地元住人に来てもらい、一世帯あたり5万~7万円、一人暮らしの方にも2万円を渡した。配り漏れがないように現地の役所と協力し、お年寄りなど配布場所に来られない人には、直接訪問し、一人ひとりに現金を手渡して回っていたと聞く。
実際に現金をもらった家族に、取材で話を聞いたことがある。
「台湾の仏教団体が現金を配るので各世帯の代表者は公民館に集まるように、とのチラシが配られました。我が家は父が行ったのですが、世帯名簿のチェックをするだけで5万円をもらって帰ってきました。先が見えない不安の中、本当に心が温まる出来事でした。あのお金は私たちに安心を与えてくれました」と当時を思い出し、涙を浮かべていた。
震災後の復興建設においても、台湾からの支援は継続された。
病院や保育園の建設
下記については、中華民国紅十字会(台湾赤十字)の義援金を活用し建設され、その支援は2018年まで続いていたといわれている。これらの建物の前には、台湾の“国旗”と「絆」という文字が刻まれ「台湾の皆さんありがとう」と書かれた石碑が置かれていて、東北と台湾の強いつながりを示している。
【宮城県三陸町】公立志津川病院、南三陸町病院
【福島県相馬市】狐穴団地、南戸崎団地、細田東団地井戸端長屋
【福島県新地町】被災高齢者共同住宅
【岩手県山田町】私立大沢保育園(改築整備)、わかき保育園(新名称:日台きずな保育園)、山田北小学校放課後児童クラブ、豊間根地区放課後児童クラブ
【岩手県大槌町】吉里吉里保育園(移転新築支援)、災害公営住宅