EV強国中国、自動車の新しい風景

 ここ二〇年、中国大陸でエネルギー革命が起きている。夜間に自動車に電源コードをつなぎ、充電して翌朝から自動車を走らせる。そんな風景が普通になりつつある。自動車は二〇世紀がもたらした最大の移動手段である。アメリカで生まれ世界に普及した。牽引したのはエンジンとガソリンだった。エンジンを発明したのはメルセデスとベンツというドイツ人だったが、大量生産によって労働者にも購入できる乗り物にしたのはアメリカのフォード。その自動車のエンジンがモーターとなり、ガソリンが電池に移行しつつある二一世紀になって中国の存在感が強まりつつあるのだ。

中国が輸出始動

 一一月二一日の日経新聞は一面トップニュースとして「中国産EV,輸出始動」の見出しを掲げた。中国は世界最大の自動車生産国であるが、日欧米メーカーの存在を抜きに中国の自動車生産は語れない。その欧米メーカーのEV車が相次いで輸出を始めたことは世界の自動車業界にとって驚きとして受け止められている。当然、国産メーカーの輸出にも弾みがついている。バッテリーなど関連の部品産業も集積し、いつの間にか中国はEV生産の最先端を走っていることに気付かされた。

イギリスの自動車誌「LMCオートモーティブ」が報じたところでは、二〇二〇年一月から六月の世界のEV生産台数は六六万台。約四割の二五万台を中国が占め、輸出ではEVを中心とするNEV(新エネルギー車)は前年同期の二・四倍の三万六九〇〇台に拡大した。

同報道によると、テスラは一〇月から「モデル3」を欧州へ送り出した。BMWは来年以降、新型車「iX3」の欧米輸出を始める。浙江吉利控股集団傘下のEVメーカー「ポールスター」は欧州や北米に「ポールスター2」の輸出を始めた。ポールスターの生産台数の多くは輸出向けだ。ノルウェーで九月新車販売全体の三位に入るほどの人気車。愛馳汽車は多目的スポーツ車(SUV)「U5」を仏レンタカー会社に500台販売したほか、小鵬汽車も輸出を開始した。日欧米でほとんどその姿を見ることがなかった中国メーカーの車がEVブランドで走り出しているのだ。

BYDの出現

 中国でのEV生産のリード役を果たしたのはBYD(比亜迪自動車)。リチウム電池では大手だったが、二〇〇七年、自動車生産に乗り出した。しかも電気自動車だ。アメリカでペイパルの共同経営者だったイーロン・マスクがテスラの製造に乗り出すほぼ同じ時期に、中国でも電気自動車メーカーが産声を上げたのだった。二〇〇八年末に発売した量産型プラグインハイブリッドカー「BYD F3DM」は世界の注目を集めた。世界的投資会社を経営するウォーレン・バフェットが投資したことも大きなニュースとなった。

 世界でEV車が注目を集めたのは一九九〇年代だった。米カリフォルニア州で、ゼロ・エミッション車を5%以上販売できないメーカーの販売を禁止するという先進的取り組みが生まれた。GMとトヨタ、ホンダは本気で開発に乗り出し、EV車を売り出した。自動車に新しい時代が到来することを予感させたが、二一世紀となり、ブッシュ政権が誕生するといつの間にかその法律はなくなり、町から電気自動車が消えてしまった。

 当時「GMのEV1は加速力がすごい」とマニアの中で評判を得たものの、リース契約は打ち切られてしまった。アメリカでは「Who Killed the Electric Car」という名のドキュメンタリー映画が作製され、だれが市場から電気自動車をなくしたのか追及する動きもあったが真相は闇の中に消えたままである。

 アメリカで立ち切れとなったそのEV車が地球の反対側の中国大陸で息を吹き返した。二〇〇〇年代に入ってようやくマイカーブームを迎えた中国では、フォルクスワーゲンやGMなど外国メーカーが生産販売のランキングの上位を占める。国産メーカーは外国勢の後塵を拝したままであるが、そんな中でBYDなどユニークな会社が急成長していた。

雨後のタケノコ、新しい概念

中国の発表では、二〇一九年のEV車売り上げは一二〇万台に達している。もちろん世界トップである。国産唯一のEV車、日産リーフが世界で七万台弱しか売れていないのに比較すると雲泥の差だ。NEVシフトを追い風に多くの企業が続々とEV開発に乗り出しており、この五年間に誕生した新興EVメーカーは五〇社を超えている。すでにアメリカで上場している上海蔚来汽車(NIO)、小鵬汽車、理想汽車など有力メーカーが台頭している。三社ともIT企業からの参入である点が特徴的だ。

二〇二〇年には、EV最大手のテスラが上海で年産五〇万台規模の工場を立ち上げ、販売価格の引き下げで中国市場に参入、EV車の本格展開を開始した。中国のEV市場の特徴は国内資本が切り拓いてきたということである。ここに外資が参入し、「EV市場の拡大を加速させる」というのが市場の見方だ。エンジン車と比べて構造が比較的簡単で部品点数も圧倒的に少ないため、他業種からの参入が容易だったことは確かだ。しかし、早くから電動自転車や電動バイクが普及するなど自動車=ガソリン、という固定観念が希薄なことも寄与しているはずだ。車社会の到来が世界より半世紀遅れたものの、周回遅れが中国のEV化を促す一番の要因であるかもしれない。

タクシー、バスをEV化した深圳

寒村から四〇年で人口が一三〇〇万人に達した深圳市。ハイテクを中心に世界の最先端都市として注目度ナンバーワンだ。その新興都市で進んだのが乗り物の電動化だった。一万六〇〇〇台のバスは一〇〇%、二万台を超えるタクシーもほぼ一〇〇%がすでにEVとなっている。充電基地は広東省内に五万五〇〇〇カ所もあり、アメリカ全体の数に匹敵する。ちなみに日本全国のガソリンスタンド数は約三万カ所にすぎない。EV化の牽引役はもちろん地元のBYDだった。

 バスやタクシーなど公共交通機関のEVシフトは二〇〇九年に始まった。政府は国家を上げて、「十城千輌」政策を三年間で推進した。毎年一〇の都市の公共交通に対して一〇〇〇台分の補助金を出した。エンジンと比較してモーターのエネルギー効率は四倍以上。マイカーの普及で燃料供給に問題が出ると考えた政府がエネルギー政策を大転換させた。その後は、北京、上海、杭州など各都市が独自でEVシフト施策を打ち出し、公共交通のEVシフトが進んでいる。現在では全国の充電スタンドは六〇万カ所を超えている。

 深圳市のバス、タクシーはすべてBYD製だ。深圳市のタクシーはフォルクスワーゲンの赤いサンタナが有名だったが、一〇年で青色のBYD車が赤いタクシーを駆逐した。

周回遅れが勢い促す

中国政府は二〇一八年から、「新エネルギー車(NEV)規制」を導入、自動車メーカー各社が中国で生産・輸入する台数のうち新エネルギー車が占める割合を定めた。一定台数以上のEVやプラグインハイブリッド車の生産販売を義務付けた格好。背景には中国のエネルギー事情と地球温暖化への配慮がある。特に大都市部の排気ガス問題は深刻で、急速にEVに舵を切る必要性に迫られた。

 中国にEV革命をもたらしているのはもちろん政府の規制であることは確かなのだが、背景にはまだまだ新たに新車を購入する層が厚い中国では「電池車」に対するアレルギーが薄いということも影響している。つまり九〇年代から進んでいた電動自転車と電動低速車の普及がある。中国ではすでに二億五〇〇〇万台もの電動自転車が走っている。先進国では「充電」という手間がハードルの一つになっているが、電動自転車に乗ってきた人々にとっては大した手間ではないのかもしれない。

 中国でマイカーが走り出したのは二〇〇〇年ごろからで、貧しかった時代のもっともポピュラーな移動手段は自転車だった。それが、九〇年代から簡単なモーターと鉛電池を取り付けた電動化が始まった。本田宗一郎らが戦後、「原動機付自転車」という新ジャンルを生み出したように、小さな資本の電動自転車メーカーが乱立した。日本ではアシスト機能の電動自動車が走り出していたが、道交法が災いして「自走」する自転車は普及しなかった。中国では多くの省で免許もプレートも不必要だったため、電動自転車の普及が一気に広がった。「電動機付自転車」という新しい概念が定着したのだった。

 元々、モーターと電池という組み合わせに違和感がなかったのだろう。中国の人々にとって、エンジンとガソリンが当たり前だった時代が短かったから、電動自動車に対して大きな抵抗感はないといっていい。

 地球の温暖化を防ぐため先進国でもEVの普及を進めている。だが、充電時間の長さと電池の価格が高いことがまだ大きなハードルとして立ちはだかっている。対照的に中国では国産メーカーによる比較的安いEVも相次いで投入されており、EV導入のハードルは格段に低いといわなければならない。加えて、車載電池など部品産業への投資も活発。自動車はすそ野の広い産業とされてきたが、今後、世界のEV産業の勢力図は、販売だけでなく生産面でも中国が軸となっていくことは間違いなさそうだ。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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