日時:3月5日(金)午後7時から

場所:WaterBase

講師:伴武澄

 3月3日、はりまや橋商店街の飲み屋で『原発亡国論』出版を祝って著者の木村俊雄さんと編集者の西田さんが祝賀の宴を開いていた。そこへ僕も参加した。お祝いだということで次から次へとシャンパンが抜かれた。「シャンパンで酔っぱらうなんて贅沢な日だ」というと西田さんは「どんどん飲んで」と上機嫌だった。木村さんは元福島原発の技術者。原発の在り方に疑問を持ち、2000年に退社し今、土佐清水で自然生活をしている。90年代に福島で電力喪失事故が起きた。上司に「こんなことで「津波がきたらやばい」と話したら、それは禁句だとたしなめられた。不幸なことに10年以上たって木村さんの懸念が現実に起こってしまったのだ。

 その数日前、飲み屋のマスターから元原発従事者による原発問題に関する講演録をもらっていた。その中で興味深かったのが次のような話だった。「どんなに優れた設計図があってもそれを組み立てる人間がぼんくらだったらどうしようもない」。一昔前までは建設現場に必ず匠たちがいたというのだ。匠たちは設計者の意図を理解して最善の作業を行ったが、最近の業者はマニュアル通りに組み立てるだけで、それぞれの部品やそれらをつなぐ意味をまったく理解していない。想定外の不祥事や事故が起きる原因がそこにある。なるほど、なるほどと考えさせられた。

 故高木仁三郎博士は言った。地球は宇宙の星のくずから誕生したもので、もともと放射能の塊だったものが「46億年かけて冷めてきて、ようやく人間や生き物が住め るくらいまで放射能が減ったもの」なのだそうだ。だから「宇宙に生命はいないと思う。それくらい地球というのは特殊な条件なのだ」。その特殊性について、「水の存在」もさることながら、「放射能に対して守られていることが大きい」と指摘する。そんな特殊性があるにも関わらず、「せっ かく地球上の自然の条件ができたところに、人間が天の炎、核というものを盗んできてわざわざもう一度放射能を作ったのが原子力なのだ」という。高木さんは、原子力こそが「プロメテウスの火」なのだと強調している。