世界で一番古い通信社は「フランス通信」(AFP)だ。1835年、- シャルル=ルイ・アヴァスが「アヴァス通信」として設立した。次いで古いのはイギリスのロイター通信。アヴァスで働いていたユダヤ系ドイツ人のポール・ジュリアス・ロイターがロンドンに移ってつくった。もう一人アヴァスにいたベルンハルト・ヴォルフはドイツでヴォルフ電報社を設立した。同じころ、アメリカでは1846年ニューヨークの5つの新聞社がAP通信を設立した。AFP、ロイター、APはいまでも世界の三大通信社として生き残っている。

新聞が政治批判を中心に発刊されたのに対して、通信社は金融情報を得るために生まれた点で目的が違っていた。英仏独米の世界支配の先兵的役割を果たしてきたといっても過言でない。

通信社の歴史で語られるのは「ネイザンの逆売り」だ。1815年2月、ワーテルローの戦いでロンドンのネイザン・ロスチャイルドはイギリスがナポレオンに勝利したことを知りながら市場でイギリス国債を売りまくった。イギリスが敗北したに違いないと思った市場関係者が「売り」に走るとネイザンは底値で国債を買いまくり、巨額のとみを築いた。当時、通信社などはなかったため、伝書鳩が使われたと教えられた。情報を先につかんだものが市場を支配できることが通信社の誕生を促したというのだ。19世紀、七つの海を支配したイギリスのもとでロイター通信は情報面で世界を支配することになる。

日本では戦前、同盟通信という巨大な組織があった。新聞聯合と日本電報通信社が合併して誕生したのはまさに大東亜共栄圏と軌を一にしていた。日本にとっても国際的通信社の設立は悲願でもあったのだ。この同盟通信が敗戦とともに財閥解体の対象となったのは不思議ではない。今ある共同通信、時事通信、電通の母体は同盟通信だった。

ロイター通信の強みは世界に張り巡らされたイギリスの通信網である。通信線であるといっていい。ロンドンからアジア、アフリカ各地は海底ケーブルによって繋がれ、明治4年には長崎にまで届いていた。

資本家に富をもたらしたのは情報だった。そのことは今も昔も同じである。ニュースと情報の違いは何なのかよく分からないところがある。

世界的にみて新聞はローカル紙がほとんどである。全国紙があるのは社会主義国と日本だけともいわれているが、日本でも戦前までは朝日や読売も都会の新聞でしかなかった。ところが通信社は国家単位で国を超えて支局網を構築しているのが特徴だ。そうでなければ通信社の名前に値しないからだ。そういった意味で同盟通信こそが日本を代表する通信社だった。戦後の共同通信や時事通信は名前負けしているのかもしれない。