まぐまぐの上場

まぐまぐ。インターネットで、メールマガジンという新しいカテゴリーを生み出した存在。そのまぐまぐが今頃、上場というのも不思議な話だが、それなりに感慨がある。

1998年2月、萬晩報を始めて約1カ月、まぐまぐに出会った。メールマガジンの配信数は百を超えていた。マイクロソフトのメールソフトにはBCCという機能がなかったため、Netscapeというメールソフトを導入した。このソフトは有料だった上、20通ぐらいしか同時に配信できなかったため、何度かに分けて配信した。配信数が増えてくるとこの作業も大変になって来た。萬の読者だった東大電算センターの人から「まぐまぐ」という無料の配信ツールを使ったらどうかという提案があった。へんな名称の会社だと思ったが、使い始めて見るとすごかった。

萬晩報のIDは0000002548だったから、前年に始めたサービスは数カ月で2000件を超えていたことになる。少し経つとサイバー・エージェントがmelmaという同様のサービスを開始した。5行広告が始まっていて、メルマガに添付すると1通につき約0.5円の広告費が発行者に支払われた。

萬晩報の最盛期は2004年ごろだった。配信数26000を超えていた。当時、津支局にいたが、本社転勤で47NEWS の初代編集長となったため、僕の頭の中で生まれるアイデアはすべて47NEWSにつぎ込まれ、萬晩報に集中できなくなった。一方でブログが登場して素人が次々と質の高い発信力を身につけて行った。

メルマガが衰退した一番の理由はブロードバンドの普及だった。ダイヤルアップでネットに接続していた時代は1分ごとに通話料が発生していたため、多くのネット利用者はメールをダウンロードしてからメールを読んでいたため、「プッシュ型」の発信が主だった。それが常時接続となったとたん、「プル型」に転じた。情報を定期的に送ってもらうのではなく、自ら探しに行くようになった。

そのころ始まったのがgoogleだった。検索する能力が格段に進歩した。欲しい情報はgoogleで検索する。そんなことが常識化したのだった。

いずれにせよ、まぐまぐには22年もの間、お世話になった。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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