台湾民主化の父、李登輝 夜学会164

7月31日(金)午後7時から

場所:はりまや橋商店街Water Base

30日、大きなニュースがいくつも世界を駆け巡った。コロナ感染者が国内最大となり、米GDPが4割以上も落ち込んだ。そして台湾民主化の父、李登輝さんが97歳で亡くなった。「日本精神」という言葉で日本を励ます一方、台湾の成功に日本統治時代の経営が生きていることを台湾人たちに訴え、日台に大きな絆を築いた。李登輝さんは21歳まで「日本人」。京都大学に在学中、大阪師団に入隊、名古屋で終戦を迎えた。日本名、岩里武則は台湾のウィキペディアにも載っている。農学者として活躍したが、当局から嫌疑を受けて取り調べを受けたこともある。

台湾は大陸で敗れた国民党が長く政権にあり、蒋介石独裁国家だった。長男の蒋経国が総統を引き継ぎ、80年代まで外省人が台湾人を統治していた。日本の代わりに国民党がやってきたたけで、台湾人は「犬が去って豚がやってきた」と語っていた。

台湾に転機がやってきたのは、1988年の蒋経国の死だった。たまたま台湾人の李登輝を副総統に据えていたため、党規に従って総統に就任した。李登輝は1996年、初めて総統選挙を実施し、初の民選総統に就任した。中国は台湾海峡でミサイル訓練を行うなど選挙に対して圧力をかけた。

中国共産党と国民党はともに独裁政権である意味でコインの裏表のような存在だったが、その片割れの国民党が独裁政治から決別し、民主政治を目指すことには大きな意味があった。戦後一貫して台湾の軍事解放を国是としてきた中国を刺激することによって再枠の事態を招く可能性もあったが、李登輝は台湾の民主化にあえて大きく舵を切った。その勇気は台湾精神を鼓舞した。李登輝は難しい国際政治の中でみごとまでの手腕を発揮したアジアの数少ない政治家といえよう。

その哲人政治家のもう一つの側面が「元日本人」という人格だった。台湾の経済的成功について、戦前の日本統治にあった「公」という概念に着目し、国民に対して「私」ではなく「公」の重要性を訴えた。植民地から独立を果たした多くの新興国がかつての支配者への否定から始まったのに対して、李登輝は日本統治を肯定した。破壊から新社会を築くのではなく、新国家の基礎を過去の統治にもとめたのだから、多くの政治学者は戸惑ったに違いない。

僕は、孫文革命は李登輝によって引き継がれたのではないかと考えている。孫文は1925年、死の直前に神戸市で行った「大アジア主義」という講演で、日本に対して「西洋の走狗となるのか、アジアの干城となるのか」迫った。李登輝は総統退任後、何度か日本を訪問した。日本人に対して訴えたいことが多くあったはずである。「公」の精神を失った今の日本の現状を憂いていたはずだ。僕は一度も李登輝さんと会ったことはないが、長老派のプロテスタントである李登輝さんは新渡戸稲造と同様に日本の武士道の精神を併せ持った稀有な政治家だと思っている。多分、どこかで賀川豊彦の著作にも出会っているはずだと確信している。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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