再び国とは何か考える 夜学会160
6月26日(金)午後7時から
テーマ:再び国とは何か考える
講師:伴武澄
場所:WaterBase
考えてみれば、この夜学会の半分以上のテーマは「国」について考えることになっている。「自由民権運動をもう一度、はりまや橋商店街から」というのが夜学会を始めたきっかけだから当然だ。
先週は「主権者」はだれなのかを一緒に考えてもらった。ならばその主権者が統治する「国」とはそもそも何なのか。再び考えたい。
「閣下、一日も早い即位を」
「余は王権を欲していない」
そういったかどうか分からないが、アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントン将軍は取り巻きに懇願された。グレートブリテン連合王国の支配を脱し、どういう政府ができるかまだ誰も分からなかった時期である。それまでの歴史上、民主的政体などは一部の都市国家を除いてない。だから勝った軍隊を率いていた武将が王となるのは当然すぎることだった。ワシントンが歴代の建国の王さまたちと違ったのは多くの推挙がありながら戴冠を拒否したことだった。
そのワシントンが合衆国初代大統領に選ばれたのは1788年。合衆国憲法の成立を経て選ばれた。イギリスとの戦争の最中、独立を宣言したのが1776年だから、12年の年月が経っていた。この間、合衆国政府はない。13州によるゆるい連合体である大陸会議があったにすぎない。
大陸会議がこの独立宣言を決議した7月4日がアメリカの独立記念日となっているため、アメリカ合衆国の成立も1776年だと思っている人が多い。しかし、 現実には独立はしたがアメリカには統治者はなく、大陸会議には徴税権すらなかった。独立戦争を賄うための戦費調達はあったが、そもそも主権がどこにあるのか分からない。
全土を統治するソブリン(主権者)がいないのだ。そんな時代が12年間も続いた。明治時代も大政奉還から帝国議会成立ま で22年かかっている。日本もアメリカも国家の骨格をつくるのに同じような時間がかかっている。新しい国家をつくることはそんなに簡単なことではないの だ。
アメリカはアフガンで大統領選を行い、カルザイ氏があらためて大統領に選ばれた。イラクでも新しい政府をつくろうとやっきとなっている。アメリカでさえ12年の年月を必要としたのである。アフガンで国民が納得する国家の枠組が3年やそこらでできるはずない。
当時のアメリカでは、明治初期の日本が藩に分かれていたように13州がそれぞれ独立していた。13州ではイングランド王が派遣したGovernor(知 事)を追い出した。その知事の代役を自ら選んだ代表であてていたかどうかまではしらないが、多くの州ですでに代議制をとっていたことは事実だった。 合衆国(United States)という意味合いでは、アメリカの母国は連合王国を名乗っていた。United KingdomのUnitedという概念をまねたに違いないと思っている。この連合体は形の上ではスコットランド王とウエールズ王をイングランド王が兼ねるという政体で、アイルランドと北米13州はそれぞれイングランド王の領土だった。Kingdomの代わりにStatesとし、王さまの代わりに市民が選ぶPresidentを置いたのがアメリカ合衆国のかたちである。