京都大学名誉教授の佐伯啓思さんが「不要不急が握る命綱」と題したコラムを6月8日高知新聞に書いている。現代社会とは不要不急のものによって繁栄して来たというのだ。確かにそうだろう。生物として生きるために不可欠の行動は食う寝るぐらいのことだという視点で考えれば、我々の日々の行動のほとんどが不要不急だといっていい。

「わたしは「不要不急」が悪いなどという気は毛頭ない。人間には、無駄なもの、不要不急のものがなければならない。人が多数集まって騒ぎ、ほとんど無駄な時間を共に過ごすことは大切なことである。祭りも宗教も文化もそこから起ったことといってよい。」

「だが、それを経済的利益に還元し、成長の手段にするのは適切でない。しかも、今回、実は「不要不急」どころか「必要火急」なものが全く不足していたことにわれわれはきづいたのではないだろうか。」

「それは、医療や日頃の養生であり、介護であり、教育であり、困窮事態に助け合える人間のつながりであり、必要品の自給である。」

「これはもともと市場経済にはなじまない。観光やエンタメ、レジャーなどの消費生活とは対極にある公共的なものといってよい。しかもそれは、本来、都市型生活というよりも、地方的生活にこそ適合するものである。」

佐伯さんのように考えると、政府が打ち出している持続化給付金などは「無駄」の最たるものかもしれない。基本的に飲食店を支援するためのものであるからである。7年前、土佐山アカデミーに参加して山暮らしをした3カ月の生活を思い出している。

まず地域に飲み屋はない。バルという地元の産品を売っている小さな店でうどんと卵かけご飯を食べさせてもらえるがそれ以外に食堂もない。新聞だって中心部以外は「宅配」されない。そんな日々の生活に僕は新鮮さを感じたものだった。アカデミーは学び舎であったが、学びそのものが不要不急であるかについては議論があろうが、人々のつながりがものすごく濃いものであることだけは確かだった。そして都会の生活に足りないものを教えてくれた3カ月だった。(伴武澄)