35年新聞記者をして9年前、高知に帰ってきた。たまたま開催していた土佐山アカデミーに参加した。たった3カ月の住み込み学習で僕は生きるということに目覚めた。

 アカデミー仲間と作った土佐山七厘社で焼いた木炭を販売するため、真冬にある日、はりまや橋商店街の金曜市で「露天商」を始めた。

 暖かくなると木炭が売れなくなった。知り合った旧鏡村村の仙人のようなおじいさんから「山菜を売りや」と言われた。山菜は売るものだという認識はなかった。山菜は取るものだと思っていたが、この仙人は「ここからあこまではおらんくの山、かってに取っていきや」と言われて山菜売りを始めた。

 それこそ、驚きの販売を記録した。売った商品はタケノコ、イタドリ、フキ、クレソン……。1日の売り上げが4万円に達した。商品はすべて「100円」に設定した。だから400売れたということになる。

 露天商というのは商売の始まりであることは多くの人から聞いていた。初めは道路に物を置いて売る。ちょっと金が貯まれば、ようやくリヤカーで売ることになる。僕はリヤカーに近い形で商売を始めた。

 柴又の寅さんではないが、いつまでも露天商というのは恥ずかしい。いつかは店舗を持ちたい。6年経ってそんな思いが実現したのがWaterBaseだ。

 コンセプトは街角サロン。誰もが集える場所を作りたかった。喫茶店でもいい。木工所でもいい。あるいは展覧会場やミニコンサート会場でもいい。そんな思いで昨年9月、WaterBaseを開設した。お金がないので壁から内装、調度品はすべて自作した。ありがたいことに資材はほとんど友だちからもらった。

 恰好いえばマルチパーパスのサロンなのだが、これまでいろいろなイベントをこなしてきた。まずは絵金誕生祭。次いで落語を鑑賞する会。土佐山田高校の学生たちを巻き込んだクルザー船おもてなし広場もやった。忘年会会場は月並みだが、年を超えて懐かし映画のポスター展。

 そもそもなぜWaterBaseなのか。たまたま政府の水道の民営化路線に反発して昨年4月の市議選に立候補したことから水道のことを考えて行きたいを考えて命名した。

 問題はいつまで続くかということである。大家さんとの契約では8月末までということになっている。「開店」してから半年が経つが、人の交流は日々拡大している。商店街に不可欠な存在として認められることになるのなら、9月以降も何とか場所を変えても継続したい。

 有難いことに僕の趣旨に賛同して寄附をしてくれる市民が何人か現れ始めていることである。不思議なことに11月からは家賃を支払って黒字経営をしている。WaterBaseを始めて分かったことは、人生一人ではないということである。志をもって何かを始めれば何かが始まるということである。7年前、土佐山で炭焼きを始めなければ絶対に今の僕はない。

 ぜひ高知市のはりまや橋商店街のWaterBeseのお越しください。あなたの明日が始まるかもしれません。