2020年を控えて思うこと 夜学会
萬晩報という名のメールマガジンを始めたのは1998年1月8日でした。20年を超えたことになります。まぐまぐとメルマというサービスによって一時、2万6000を超える配信数を数えたこともあります。定年退職後は配信が少なくなっていますが、ここらでもう一度、定期配信を始めたいと考えています。
メルマが来年1月に配信サービスを廃止することがきっかけです。メールマガジンの配信サービスが始まったのは、通信速度が極めて遅かったダイヤルアップ時代である。プッシュ型の通信が中心でした。その後、ADSLを経て光、そしてWiFi通信の時代に入り、端末もパソコンからスマホに移っています。
そもそも90年代に自ら発信する人も少なく、萬晩報は一躍、ネットの寵児となりましたが、ブログが登場し、SNSの普及でメールマガジンなどというものは過去の遺物になりつつあるのかもしれません。情報のやりとりがプッシュからプル型に移行したのは通信の高速化とネット検索機能の充実にあることは確かです。また、文字情報から動画情報への移行も強まっています。つまり文字が軽視されつつあるのです。
問題は、誰もがネットで発信するようになり、情報が溢れすぎてきていることです。何を読んだらいいのか、何が正しいのか分からなくなっていることが世の中に混乱をもたらしています。特にFaceBookなどSNSはだれでも友だちになれる便利さはありますが、自分のタイムラインに表示される情報はどんどん細分化され、偏る傾向が強まっています。自民党を支持する人のタイムラインには自民党が正しいという情報ばかりが集中し、逆に野党を支持する人のタイムラインには立憲や国民系の情報が集まります。
情報の取捨選択は基本的には本人が行うものですが、僕は情報が溢れる時代に道先案内役が不可欠ではないかと考えています。共同通信時代に47NEWSの初代編集長になった時、そのことを強く感じました。ニュースが瞬時にネットにアップされることは大変便利な時代なのですが、小さな交通事故も世界を揺るがす大事件もただ順番に流れるだけです。基本的にネットはニュースの重要性を判断できません。ランキングによって閲覧記録からニュースの順位を並べ替えるサービスは少なくありませんが、決して重要度によってランキングされるわけではありません。
ニュースの重要度を判断するのはやはり、人であるといわなければなりません。新聞は一面トップ記事からベタ記事まで様々です。その重要度を判断するのは整理部というセクションです。政治、経済、文化、スポーツなどいろいろな分野の記者が書きあげる膨大な記事の中から「明日の朝刊に一面トップはこの記事だ」と判断して紙面の順番を決めて行くのです。ですから整理記者にはニュースセンスが問われます。
記者は世の中の森羅万象の出来事の中から、怒りや喜び、楽しみや悲しみを記事化します。基本的に記者個人の問題意識がニュースを生み出します。そして整理記者によって重要度が判断されます。僕は客観報道などを信じません。ニュースの押し付けが問題となることも少なくありません。しかし、誰かが問題提起しなければ、ニュースは生まれません。
個人のつぶやきからニュースが生まれることもありましょう。ネット時代に入って、ブログやSNSからニュースが生まれる時代です。テレビでは視聴者の映像が多用される時代になっています。しかし、ネット時代の怖さとして指摘されるのが、情報の一人歩きです。ウソの話や勘違いがアッという間に広がることもあります。これはネットが登場する前からあった現象です。関東大震災の直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という話が人の口を介して瞬く間に拡散し、朝鮮人虐殺などという悲劇が起きたことは歴史が証明しています。
新聞やテレビのニュースに携わる人々の問題は政府や行政、企業が発表した情報を鵜のみにしやすいということです。「権威」とでもいうのでしょうか、そのまま信じて記事にしてしまいます。駆け出し記者の頃、いわれたのが「裏を取れ」ということでした。複数の情報を総合して記事を書けということです。
記事としてニュースとなってしまえば、逆に責任を持たなければなりません。もちろん、誰がどう言った、誰が何をした、そのこと自体もニュースですが、書くか書かないかは記者の判断にまかされます。ジャーナリズムの難しさです。
高知に住んでいて知ることには限りがあります。しかし、2019年4月の高知市議選に立候補し、落選しました。きっかけは前年12月の水道民営化の小さな記事でした。日本の水道がフランス企業に買収されるかもしれない。否、政府がそのことを後押ししている事実に愕然としたのです。誰も水道民営化の危険性を指摘しない。声を出さないことに危機感を感じたのです。みんな、うそだろうと考えていたと思います。しかし、それは事実だったのです。僕の記者魂が市議選立候補を後押ししたのだと思っています。
「地方から発信」が問われて久しくないます。しかし、地方からのニュースは相変わらず小さな扱いのままです。それはたぶん、ニュースの種を「地方」に求めるからなのだと思います。百数十年前、日本の自由民権運動は高知から生まれました。板垣退助ら高知の自由民権論者たちは「高知から日本、そして世界を考えていた」からだと思います。そのことの重要性をいまさらながら感じさせられています。
定年退職して悠々自適に暮らすなどやはりできない自分を再発見しました。2020年から萬晩報は再スタートします。ニュースの羅針盤を目指します。