ブランドだった「伊勢」

子どものころ、吉祥寺に住んでいた。水道道路がまだ舗装されていなくて子どもたちの遊び場だった。井の頭公園の近くに「いせや」という焼き鳥屋があって繁盛していた。おじさんたちは昼から酒を飲んでいたのだろう。その焼き鳥がおいしくて、というより店の前を通るとよだれがでるほどのうまそうなにおいがしていた。

40年以上もたってから三重県に赴任して「伊勢」が気になって調べ始めた。「江戸に多いもの、伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」といわれるくらい江戸には伊勢と名の付く店がやたら多かったそうだ。もちろん、伊勢商人が活躍した証拠なのだが、そうか井の頭公園近くの伊勢屋もそのたぐいのひとつだったのだと一人合点した。

一昔前、有名ブランドの広告に「London Paris Tokyo」など添え書きがしてあった。たぶんファッション性の高さを示そうとしたのだろう。日本橋三越や赤坂虎屋も地名で箔をつけたたぐいである。

さて伊勢である。伊勢にはブランドなどという概念がない時代から地名のついた特産品があった。牛肉に地名をつけたのは松阪牛が嚆矢だろう。ブランドなどという概念のないときに松阪牛は生まれた。明治時代のミキモト真珠。江戸時代の松阪木綿とお伊勢さん。歴史をさらに遡れば、志摩アワビに伊勢エビ。熨斗あわびは贈り物に添える熨斗紙の原型ともなった。伊勢神宮は神さまの住まいで日本住宅の原型。松阪木綿は江戸時代の町人の衣服スタイル。伊勢に木綿産業が起きたことは日本人の衣に革命をもたらした。

俳句はもともと伊勢神宮の宮司が編み出した文学を松尾芭蕉が全国区としたもの。調味料の元祖であるかつお節も東紀州で考案され、土佐と薩摩で大量生産された。文学も味覚も旅のスタイルも伊勢が支配していたのだから大したものだ。

紀伊半島をぐるっと西に回れば、備長炭とみかん。炭にウバメガシという固い素材を見いだした点で紀州人は天才であるし、冬場のビタミン源にみかんというある程度保存の利く果物を加えたということでもやはり普通でない。紀伊半島には衣食住がそろっている。

現代で神社仏閣巡りといえば京都と奈良になるが、平安末期にありの熊野めぐりというぐらい巡礼地として日本人の脳裏に刻まれ、江戸期にはお伊勢参りが旅の代名詞となった。伊勢とか熊野といえば、いろいろなイメージがわく地名のブランド化が進んでいたのである。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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