6月15日(金)の夜学会のテーマはやはり「初めての米朝サミット」しかない。
時間は午後7時から
場所ははりまや橋商店街イベント広場


6月12日のトランプと金正恩会談をずっとテレビで見ていた。最近、これほど世界中のメディアの注目を集めたニュースはない。それだけ朝鮮半島問題は関心が高いということだろう。北朝鮮の核実験やミサイル開発をめぐり、一触即発の危機に即していた米朝関係が首脳会談の実現によって大きく変化した。北朝鮮の核開発は地域の安全保障にとって大きな脅威であることは確かだが、朝鮮半島問題の本質は「分断」だと僕は考えてきた。長期にわたる分断状態によって南北に疑心が生まれ対立に発展してきた。北朝鮮による核開発はアメリカによる敵視政策への対抗策なのだ。国家関係の希薄化が猜疑心を育み、相手を挑発する行動を生み、対立は激化していく。
僕は今回の米朝サミットを見ながら、近衛文麿が切望していたルーズベルト・アメリカ大統領との幻の会談を思い出していた。日米間の対立がどうにもならないところまで進展していた1941年、近衛首相はルーズベルトとのトップ会談で危機を脱したいと考えていた。近衛首相はアメリカとの対決を求めていたのではなかったが、結局、日本の陸軍の暴走を止めることが出来なかった。それを止めるために日米のトップ会談を必要としていた。しかし、当時のアメリカはそれを認めなかった。あの時、近衛・ルーズベルト会談が実現していたらおそらく真珠湾攻撃はなかっただろうと思う。
金正恩の北朝鮮も一枚岩ではない。国家リーダーとして君臨するためには軍の協力が不可欠。どこの国でも軍は自己目的化しやすい体質をもっている。アメリカでさえ産軍複合体が世界に戦争をばらまいてきた歴史がある。軍を掌握するためには、軍に対する配慮が不可欠で、その配慮こそが軍を独走させる要因となる。一枚岩ではないという意味はそういうことだ。
今回の米朝サミットの意味するところは、それぞれに国内政治的に大きな意味を持つということであろう。トップ同士が約束してしまったことは国内的に大きな拘束力を持つ。トップ同士が熱い握手をすることの政治的意味合いは決して小さくない。
今回のサミット合意で、核廃絶へ向けてのプロセスが全く盛り込まれなかった。それだけトップだけでは決めきれない双方の国内事情があるからだ。共同声明で僕が一番注目したいのは「米朝首脳会談の成果を履行するため、米国と北朝鮮はマイク・ポンペイオ米国務長官と北朝鮮当局が主導して、できるだけ早い日程でさらなる交渉を行うと約束する」と書き込んだところである。これから実務レベルで実際的な北朝鮮の核廃絶が始まるのだろうと期待している。