第75回はりまや橋夜学会
日時:3月10(金)午後7時から
テーマ:三酔人経綸問答と兆民
講師:伴 武澄
 南海先生が語る戦争の起こる原因 2003年03月15日
 25年以上も前のセピア色の岩波新書を週末にひもといていた。中江兆民の『三酔人経綸問答』である。書かれたのは明治18年である。牙を剥いた列強が北東アジアの国々を虎視眈々と狙っていた時代に、どうやって日本を守るかという議論が洋行帰りの紳士君と豪傑君、南海先生との間で戦わされる。
 中江兆民は戦争が起こる原因について南海先生に語らせている。
 両邦の戦端を開くは互いに戦いを好むが為めにして然るに非ずして、正に戦いを畏るるが為めにして然るなり。我れ彼を畏るるが故に急に兵を備ふれば、彼も亦我を畏れて急に兵を備へて、彼此の神経病、日に熾(さかん)に月に烈くして、其間、又新聞紙なる者有り、各国の実形と虚声とを並挙して、区別する所無く、甚きは或は自家神経病の筆を振い、一種異様の色彩を施して、之を世上に伝播する有り。
「戦端を開くのは互いに戦争が好きだからではない」「互いに戦いを怖れるがゆえに、兵力を増強し、日に日にノイローゼになるから」で「そのノイローゼを盛んにあおるのがマスコミだ」と喝破する。
 是に於て彼の相畏るる両邦の神経は益々錯乱して、以為(おも)へらく、先んずれば人を制す、寧ろ我より発するに如かず、と。是に於て彼の両邦、戦いを畏るるの念俄(にわか)に其の極に至りて、戦端自然に其間に開くるに至る。是れ古今万国交戦の実情なり。若し、其の一邦神経病無きときは大抵戦いに至ること無く、即ち戦争に至るも、其の邦の戦略必ず防御を主として、余裕有り義名有ることを得て、文明の春秋経に於て、必ず貶議を受ること無きなり。
「先んずれば人を制する」の言葉通りどちらかが戦端をけしかける。「もし片一方がノイローゼでない場合は、戦争までにはならず、たとえなったとしても防衛を主として、ゆとりがあって正義を守ることができる」というのだ。
「日に日にノイローゼ」という状態は、まさに911以降のアメリカの有り様そのものではないだろうか。テロを怖れるあまり、テロを仕掛ける可能性のある国々を先制攻撃しようとし、メディアをけしかけているのだから。
 ひとつ違うのは、南海先生が語る戦争は対等な国同士の戦争だったのに対して、ブッシュの場合は、軍事力で圧倒的に優位にあるアメリカが中東の弱小国に怯えているという構図である。
 そして合点がいかないのは、圧倒的な軍事力を持つ国の大統領が弱小国を相手に「必ず勝つ」と国民に訴えかけているおかしさである。アメリカとイラクが戦争をしてアメリカが負けるなどと考える人がいるだろうか。
 勝つに決まっている相手と戦争をして仮に勝利して、これを「勝利」といえるのだろうか。しかも衆人監修の中で「先制攻撃」という手が果たして打てるのだろうか。これはもはや戦争ではない。どう考えてみても警察力の行使という考え方だ。
 もしアメリカが警察力の行使という考え方で、イラクを撃つのだったら、裁判所の令状が不可欠である。令状なしに攻撃するのであれば、その後の公判維持ができるはすはない。この場合、令状とは国連決議である。唯一、令状なしで攻撃できるのは、イラクが先制攻撃に出たときである。世界に冠たる民主国家アメリカがこれくらいの初歩的ミスを犯すのであれば、イラクのことを独裁国家となじる資格はない。
 今こそ読む兆民「三酔人経綸問答」 1999年10月07日 萩原俊郎
 国会で圧倒的多数を誇る自自公連立政権がスタートした。しかし「この国の未来のかたち」は一向に見えてこない。内にあってはナショナリズム(国旗・国歌法)、外にあっては対米一辺倒(日米防衛ガイドライン)。この二律背反国家はどこへ行こうとしているのか。 ぼやいていると、知人が「たまにはこんな本を読んだら」と、神田の古本屋で見つけたという古典を紹介してくれた。
 高知県出身の民権思想家、中江兆民の「三酔人経綸問答」。古色 蒼然とした題名を持つこの本の存在は知っていたが、実際に読んでみて驚いた。20世紀の最初の年に没した兆民は、その後100年間の日本を見通し、さらに 戦後民主主義の評価、外交防衛といった現代の政治課題に生々しく迫っていた。
 登場人物は3人。ひとたび酔えば政治を論じ哲学を論じてやまない「南海先生」のもとに、洋行帰りの「洋学紳士」と、腕太くバンカラ風の「豪傑君」がやって来て、酒を酌み交わしながら天下の趨(すう)勢を論じる。
 洋学紳士は「民主主義の信奉者」である。アジアの小国・日本は早く民主制を確立し、公選制、自由貿易、「国の経済や財政を圧迫する数十万の常備軍など持たず、一心に学問と工業技術を究めることで欧米に並ぶ国を」と唱える。
 一方、現実主義者の豪傑君は、洋学紳士の理想を鼻で笑う。「そもそも戦争は避けられ ぬ。古今の文明国はすべて強国だった」。国家間の信頼がどれほどのものか、兵を集め領土を広げ、小国から大国、貧国から富国と成り上がることで「文明の成 果は金で買い取ればいいのだ。さて西洋諸国との競争に打って出よう」と主張する。
 どちらにまず軍配が上がったかは、みなさんもよくご存知だろう。豪傑君は戦前まで日本を支配した。やがて無謀な戦争拡大の末に倒れ、戦後は反対に、まったく洋学紳士の世となった。「身に寸鉄も帯びず、一発の弾丸も持たず」という、平和主義と貿易・技術立国の日本である。
 ところが平和な日本の政界やマスコミに最近、こんな論調があふれている。「世界の形勢 を論じながら、ぎりぎりの決着とは、国民がみな手をこまねいて一斉に敵の弾丸に倒れるだけ、というのか。なんというお手軽な話だ」。豪傑君の巻き返しであ る。日本人は平和ボケだ、軍備(自衛隊)を軍備と認める普通の国になれ、と強面(こわおもて)で改憲を迫る、あの党首の顔が浮かんだ。
 この本が明治20(1987)年の昔に書かれたことに驚く。兆民にかかると、私たちはこの110年間、ただ同じ所をぐるぐる回っていただけではないか、という気がしてくる。
 そこまで予見できた兆民も、結論には苦しんだ。洋学紳士の理想はどこの国も達成してい ない。はるか雲の上だ。豪傑君の軍備論は現実的なようで危険をはらむ。折り合う部分は見えず、南海先生=兆民は建前論に終始し、「あの南海先生にしては月 並みすぎる」と二人の失笑を買ってしまう。
 戦争を想定してない平和主義は「理想主義」としてむなしく浮き上がり、一方で「現実主義」を語る政治家は、国際緊張など目前の危機を理由に、軍備への傾斜を強める。もうすぐ兆民没後100年を迎える日本の政治状況も、まさにそうではないだろうか。
 ただ南海先生は「月並み」と批判されて、こう反論した。
 「ふだん雑談の時の話題なら…もちろん結構だが、いやしくも国家100年の大計を論じるような場合には、奇抜を看板にし、新しさを売り物にして痛快がるというようなことが、どうしてできましょうか」
「北朝鮮ともし戦わば」「参院を貴族院に」といった過激さをエスカレートさせる最近の 論壇や一部マスコミを、私は連想した。彼らによると、東海村の事故報道もこうなる。「とっさに思ったのはテロである。原発をねらう破壊工作である。それも 北の某国(とくに名を秘す)から潜入したテロリストのしわざかと錯覚した」。これでもれっきとした全国紙の一面コラムである。
 さてライフワークとして「この国のかたち」を追い続けた作家の司馬遼太郎さんは、兆民のことにたびたび触れている。ルソーの民権思想がもし明治維新前に日本に入っていれば、と司馬さんは仮定する(「昭和という国家」)。
 思想的に貧弱な尊王攘夷でなく、「ひとびと」という思想が生まれ、この国のかたちは少し違ったものになったかもしれない。残念ながら兆民がフランスからそれを持ち帰ったのは明治10年前後、すこし遅すぎた、という見方だ。では司馬さん自身が考える「この国のあるべきかたち」は.というと残念ながら出典は忘れたが、確かこう語っていた。
「座敷の真ん中にどかんと威張りかえるような国になってはいけない。廊下に近い縁側に座り、少し厠(かわや)のにおいはするかもしれないが、外からの風を受け、景色もよく目に入る。そんな位置に日本はいた方がいい」
 サーベルをガチャガチャいわせる人間より、着流し姿で縁側に座り、気軽に近所の人々(アジア)の相談に乗る。そんな司馬さんの理想に私たちが少しも違和感を感じないのは、戦後の憲法理念がすでに生活の中に深く根をおろしているからではないだろうか。
 日本はしばらく洋学紳士と豪傑君の間で揺れ動くかもしれないが、私はそれを信じたい。