自由は土佐の山間より

植木枝盛らが執筆した立志社の機関紙「海南新誌」の創刊号(明治10年8月15日号)緒言の最後に有名な「自由は土佐の山間より」の文言がみつかった。山間はどこなのかという論争があるが、この緒言を読むかぎり、「土佐の山間=辺境の地である土佐」という意味でしかないようだ。

・・・欧州ノ人ノ日ク自由ハ独乙ノ深林ヨリ芽出セリト。亦何ソ必シモ文物開ケサルモノヲ憂ヘンヤ。夫レ土佐ハ日本國中ニ在テ殊ニ避遠ニ属シ古来王化善ク及ハス。文物モ亦善ク聞ケス。ト雖モ而亦間却テ人材傑出シ元気ノ存スルアリ。然ラハ、則今ヨリノ後民聲大ニ興リ、自主玆ニ長シ天下ノ人稱シテ自由ハ土佐ノ山間ヨリ發シタリト云フ¬アルニ至レハ吾儻ノ雑誌モ亦始テ空シカラサルニ歸スルト爲ンノミ・・・

欧州の人は「自由はドイツの深林から芽生えた」と言う。必ずしも文明が発展していないことを憂う必要はない。土佐は日本でも殊に辺境にあり、王権の支配すらよく及んでいなかった。文明も発展していないが、却って人材が傑出して元気がある。これから民衆の声が大いに興り、自主の思想が発展し、天下の人々から「自由は土佐の山間より発した」といわれるならば、我が党の雑誌も存在価値があるというものだ。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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