かじられたスマホという禁断の実
スティーブ・ジョブズが仲間とつくったコンピューターの会社にAppleの名を付けたのは、ジョブズがビートルズのファンでApple Recordにあやかったという説がある。ビートルズのレコード会社の命名についてはよく分かっていないが、旧約聖書の中のアダムとイブを意識したに違いないと言われている。聖書にはアダムとイブが食べたのは単に禁断の実とだけあり、Apple とは書かれていないが、誰もがその実をApple と認識している。
Appleのロゴのリンゴがかじられているのは、「かじる=bite」とコンピューターの単位である「bite」をもじったものだ。 先 週、夜学会で「リンゴの話」の話をした。Appleは西洋では特定の果物を指した言葉ではなく、広い意味で「果物」でしかなかったことを説明した。でも Appleには何か特別な意味があるはず。白雪姫の物語のように美味しそうなのだが、食べてしまったら、とんでもないことが起きてしまう。
僕の話はそんなところで終わるのだが、議論は思わぬ展開となった。
4 人組のビートルズが音楽世界に革命を起こしたように、ジョブズもまた、コンピューターを使う人類にとんでもない宿命を負わせてしまった。中毒性である。ス マホの原型はAppleのiPhoneにある。コンピューターを手のひらに乗せ、無線電話網につなぐことで、大人も子どももスマホなしでは生きられなく なった。
ジョッ ブズ自身、そんなつもりでApple の名を付けたはずはないが、結果的にApple がつくった創造物が人々の生活に不可逆的変化をもたらしたことは確かだ。ミヒャエル・エンデはモモという小説に「時間どろぼう」という不吉な存在を描い た。エンデが預言したものがスマホだったとしたらどうだ。Appleという呼称は不吉な因縁を持っているのかもしれない。 われわれはすでに禁断の実であるスマホをかじってしまっているのである。
そんな結末となったことを報告しておきたい。