立志社の授業はすべて英語だった

今日、午前中に高知市自由民権記念館の松岡僖一館長に会ってきた。「ホンモノの夜学会」の顔と見に行ったのだが、本当はどちらがホンモノでもどうで もいい。夜学会が一つでも多く高知で開催されることになったら本望なのだ。奇しくも今日、参院特別委員会で安保法制が可決した。どうして政府が暴走するの か考えるに、根本のところ、日本の民意が薄弱なのだと考えている。裾野からもう一度、自由民権運動を起こさなければ、この国は救われない。

実は民意だけでは足りない。政治に人材を供出できる体制も不可欠だ。板垣退助が高知に立志社を立ち上げ立志学舎をつくったのは明治9年のこと。7、8人の 教授陣はすべて、福沢諭吉の慶應義塾の塾生だった。というより、三顧の礼で片田舎の高知に来ていただいたといっていい。立志学舎の生徒は10歳から25歳 の青年だったが、慶應義塾の塾生たちは英語の教科書を持ち込み、英語で授業を始めた。

高知の田舎者たちは驚いたに違いない。ただたじろぐことはなかった。数年のうちにジョン・スチュアート・ミルやギゾーの原典を読みこなすようになったというのだから驚きである。秋田の教養大学が英語で授業をやっていると偉そうに言っているが、レベルが違う。なるほど、高知で自由民権運動が起こる背景はそんなところにもあったのだ。

僕は松岡館長に言った。「夜学会の復活は高知が県を揚げて力を入れている『お客文化」の対極を行くものです。頑張りましょう」。

明治時代のすごみは、政治から科学技術、文化にいたるまで「学び」があったことに尽きる。広告会社のつくった浮ついたキャッチフレーズで地域が浮上するはずもないことを実感している。植木枝盛語録「未来が其の胸中に在る者、之を青年と云ふ」(『無天雑録』より)

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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