江戸時代の伊勢参り一番の土産は白粉だったらしい。今では考えられないことだが、原料は水銀だった。近代になるまで、水銀の害毒はほとんど知られていなかったが、うちのおばあさんは「妊婦は白粉を塗ってはいけない」といっていたそうだから、うすうすとは知っていたのだろう。しかし、古代から毒をもって毒を制するということで、毒を薬にしていた。
 日本に「丹」の字のつく地名は数知れない。伊勢にも丹生というところがある。戦後まで水銀を採鉱していた鉱山まであった。東大寺の大仏建立の際、大量の水銀を必要とした。歴史によると、丹生の水銀採鉱は奈良時代に遡るというから相当に古い。
 仏像を金メッキする際、金に水銀を溶かしたアマルガムを銅の表面に塗り、加熱すると水銀が蒸発して金メッキが完成する。当時、大仏建立の際、相当量の水銀が奈良の都に充満し、少なからず人々の健康被害も出たはずだ。
 朱もまた水銀からつくられる。神社仏閣が朱塗りなのは、防腐防虫のためだった。古代において貴人を埋葬する際にも棺桶の内側に朱を塗り込めたのは、まさに水銀の防腐効果に期待したからにほかならない。
 転じて、水銀は薬用としても長く使われた、水虫、インキンには抜群の効果があったし、梅毒にもよく効くことで知られたことは洋の東西を問わない。日本の薬 に「丹」の字がつく意味もそこにある。「丹」のつく薬にすべて水銀が含有されていたかどうか解らないが、「丹」か「丸」がつけば薬と相場が決まっていた。
 前置きが長くなったが、丹生には神社とお寺が並んであった。神仏混淆のだったから元は一体だったに違いない。寺の方の開祖は弘法大師である。最近までは温泉まであったそうだ。
 友人の丹生に行った話をしたら
「弘法大師の事跡があるだろう」と問われた。どうして分ったのか聞いたところ、
「水銀鉱脈のあるところに弘法大師の足跡があるのだ」
 平然と答えたのには驚いた。
 そうなのだ。高野山にも丹生姫神社という由緒正しい神社がある。水銀は名の如く液体で、焼くと粉末になるため、扱いやすい金属で、古墳時代から多面的に使われていた。その鉱脈を探し当てることは、宝の山を見つけるに等しく、富を得ることが出来た。その中心に弘法大師が存在していたことはほぼ歴史的事実であるようで、もしそうなると弘法大師は平安初期の単なる大僧正ではなかったことになる。