旧約聖書にモーゼがエジプトの奴隷となっていたユダヤの民を乳と密の流れる郷、つまり今のイスラエルに導く話がある。神は雲の柱と火の柱を導きとしたという。賀川豊彦は大正年間に「雲の柱」という機関誌を発行して、日本に100万人のキリスト教信者をつくろうと励んだ。

毎号、賀川は「身辺雑記」を書き、身辺で起きた出来事を書き続けた。その「身辺雑記」を現在、自炊中である。全文は著作としては存在しないが、賀川豊彦全集に編集して収められている。これがなかなか面白い。

キリスト教伝道を中心に、疲弊した農村の再興のため、全国を行脚しながら農民福音学校を各地に設立した経緯、生活協同組合の話から、仲間の武内勝が神戸で 始めた失業保険が政府に取り入れられ、さらに組合病院が全国に広がる有り様や健康保険が始まる当時の社会情勢が次々と描かれている。

「身辺雑記」が興味深いのは、賀川の起こした社会運動の幅広さ、そしてその活動の多くが彼自身の著作の印税によって支えられていたこともよく解るからである。

自炊をしながら、これだけで一本の研究論文が書けるのではないかと考えている。
戦後世代のわれわれが、安心して暮らせるのは、大正から昭和にかけて賀川豊彦という人物が蒔いた多くの種のお蔭であることをもっと多くの人に知って貰いたいと思っている。

自炊はまだ半分した到達していない。何分、炭売りと山菜取りなど山仕事をしながらであるから仕事がなかなか進まない。そもそも「身辺雑記」はページ数がむ ちゃくちゃ多い。400字で1000枚はあるのではないかと想像している。校閲に協力していただける方、ご連絡ください。

そもそも「身辺雑記」という長編の自炊を僕に勧めたのは亡き賀川督明さんだった。盟友の命日までになんとかまとめておきたい。