4月10日、今日午後7時から夜学会開催します。テーマは「ふんどしとパラオ」です。

日本とパラオと共通するものがいくつかあります。まず国旗。パラオの国旗は水色地に黄色い太陽。日章旗と色が違うだけ。二つ目は男子がふんどしをはいていたこと。三つめは若衆宿の風習が残っていることだ。

その昔、ロシア語の同時通訳者として活躍した米原真理さんが「パンツの面目ふんどしの沽券」という面白い本を書いたことがある。真理さんは外語大学で一年先輩。共産党の国際局長をしていた米原格さんの娘。少女時代にプラハに駐在となり、真理さんも一緒に行ってロシア語の学校に通っていた。当時、社会主義圏では下着も自らつくることをならったそうで。ブラジャーやパンツは自分でつくったそうだ。その中でワイシャツの話が出てくる。ワイシャツの左右がえぐれているのは、かつては丸くなったところにボタンがついていて前後に留めるようになっていた。つまりパンツというものがロシアにはなかったそうなのだ。だからロシア人のワイシャツの端っこは黄色く染まっていたという。

パンツ、つまりズボン文化は騎馬民族から始ったと聞いたことがある。ギリシャやローマ時代は男でもズボンをはいていなかったし、中国の古代の衣装もズボンをはかなかった。女性のセクシーなチーパオのスカートの左右が腰まで分かれているのは満州族の衣装で女性も馬に乗っていたからなのだ。日本の着物もまたズボンではない。布をまとうという文化だ。もちろん直垂や袴はズボンと言えばズボンかもしれないが、普段着としてズボンは着なかった。

ただ下着として「ふんどし」を着用した。女性は「腰巻」を下着とした。日本人がふんどしをいつからはくようになったのかは分からない「褌」という字は日本書紀にも出てくるし、女でも海女さんはふんどしを着用していた。パラオではというより、太平洋の島々の男たちは戦前までふんどしを常用していた。ふんどしは中国や韓国にはない。日本と太平洋をつなぐ文化の証なのかもしれない。

太平洋の島々に棲む人たちはマレー系といわれ、いつの時代か、カヌーに乗って何千キロの海路を東南アジアから渡って来たというからずごい。土佐山アカデミーで学んでいた時、内野加奈子という女性がスタッフの一人としていた。ハワイ大学で学び、ミクロネシアの古代船でハワイから日本まで航行した特異な経験を持っていた。星と潮流だけで自分の位置を確かめながら半年かけて日本にやってきたというから驚きだ。島々に住む人々は現代人が持っていない独特の「動物的方向感覚」を持っていたとしかいいようがない。

大相撲の世界でかつて小錦とかハワイ勢が活躍した時代があった。相撲でつける回しはふんどしの発展形といっていいかもしれない。回しをつけて相撲を取るというスポーツに対してミクロネシアの人々はたぶん違和感というものがなかったのだろうという感慨がある。

そもそもふんどしをつけるのは15歳からのことなのだ。武士階級は15歳で成人の儀式を迎えるのだが、庶民は15歳になるとふんどしを与えられる。それまでは「ふりちん」なのだ。ふんどしを与えられるということは男として認められるということなのだ。

そして日本社会として重要なことは、15歳で自立する、家庭から解き放されることなのだ。漁撈社会では、かつて若衆宿というものがあって、親方の下で暮らす生活が始まる。ふんどしをはいて「男」となって家族からは離れて集団生活が始まるのだ。そこで社会の規律を学ぶ生活が始まるということなのだ。

15年前、仕事をした三重県の答志島にはまだ若衆宿の風習が残っていたことが記憶に残っている。パラオには「アバイ」という若衆宿がかつてあって、、日本と同様、15歳になると家を離れて「アバイ」での共同生活が始まることを教えられた。こんな生活形態が西洋社会に残っているのかどうか分からない。中国社会にあったのかどうかも分からない。たぶん男が自立しなければならない年齢はどこの社会にもあったはずだと考える。