2月、3月、賀川豊彦の著作2冊『颱風は呼吸する』『海豹の如く』の電子化をほぼ終えた。表紙のデザインも自分でこなした。いずれkindleショップで 販売するつもりでいるが、最終校閲に協力してくださる方を募集しています。協力していただいた方には、すでに完成済みのセレクション(10冊)の第1巻と 第2巻を進呈します。

『海豹の如く』には、高知の話題がいくつか出てくる。まず、よさこい節。1933年の著書に高知の漁師がよさこい節を歌う場面がある。戦後の 歌と思っていたが……。また天然の良港として土佐清水の話が出てくる。そして、広瀬丹吉の釣り針。今も丹吉針屋は高知市菜園場にあるのだから、さらに驚 く。
 以下、引用———————————-
 清水を出た船は、翌日の黄昏時に、日向の油津に着いた。こゝからは台湾に出漁してゐる船が沢山あるので、南洋漁業の話をきくのに、非常に便宜を得た。油津で延繩の修繕をしてゐた時に、針の話から、高知生れの小林猪之助が、土佐の広瀬丹吉の釣針の話をした。
『まあ、「丹吉」の針が日本一でせうなア。近頃兵庫でも、広島でも機械で釣針を作るやうになったですが、やはり手で作る丹吉のよい針には及びませんなア。三浦半島の三崎でも丹吉の針が一番いゝっていってゐましたが、鮪の延繩の針も丹吉のに限りますぜ』
 と勇に向ってお国自慢を始めた。然し、それには、船の者は誰も反対するものがなかった。卯之助までが、丹吉の針が良いといって褒めた。それまで、白洋丸はどこの針でも使ってゐたが、小林と卯之助が褒めるので、それからは丹吉の針ばかり使ふことにした。
『面白いものですなア。もう丹吉は、天明年間から今日まで百五十年以上も魚を釣る針を専門に造ってゐるのださうぢゃが、魚の口の恰好や魚の習性に従って、 針の恰好を全然変へてゐるから面白いぢゃありませんか。あしこへ行ってみると。魚の釣針でも沢山ありますなア。種類でも百五、六十種あると、あしこの番頭 がいってゐましたが、並べてみると面白いものですなア』