僕は、失われた20年は低金利政策がもたらしたものと考えてきた。
 日本の低金利政策は元々、90年代後半の銀行救済から始まっている。
 低金利政策はバブル崩壊後の景気対策としても度々活用されてきた。
 銀行救済―景気対策の繰り返しで金利はどんどん下がり、
 2000年を超えるとゼロ金利が登場した。
 低金利政策の果実として財務省が得たものは国債の大量発行である。
 国債の大量発行はまさに財政赤字の拡大につながる。
 財政の悪化は普通、金利上昇につながるものなのだが、
 日本ではその経済の原理が通用しなかった。
 なぜ、そうならなかったのか。理由がいくつかある。

 一つは財務省と金融機関の癒着である。
 元々、財務省は大蔵省といっていた。
 その時代、国債は金融機関への割り当て発行というシステムを取っていた。
 大手金融機関がシンジケートをつくって、大蔵省が必要としていた資金調達に応じていた。

 かつて護送船団と呼ばれる「カルテル」のようなシステムがあり、業界ごとに需給を調整し、不況時においても大企業はつぶれないような互助システムである。霞ヶ関の意向に従わない企業は村八分となるから、業界全体が従った。従っていれば景気回復時には力量に応じた成長のパイの分け前にあえることもできたのである。
 金融村はその最たるものだった。金融が自由化されても、つまり国債発行がシンジケートから入札制に代わっても金融機関による財務省への忠誠は変わらなかった。
 まして金融機関が破綻する時代になって財務省と日銀が低金利で支援していたから、ますます財務省の意向に逆らうわけにはいかなかった。
つまり、低金利でうまみのない国債でも不承不承買わざるを得なかった。
もちろん景気が悪い時にはそもそも融資先がなかったから、預金を寝かせるよりはましとばかりに国債を購入した。
 金融破綻の時代は当然ながら景気が悪かった。財政悪化などどこ吹く風とばかりに自民党は公共事業を中心とした財政政策を相次いで打った。小渕内閣などは金融機関の救済を含めて年間で100兆円もの国債を発行し、自ら「借金王」を名乗った。国債の大量発行が続くと困ったのは財務省で会った。国債の大量発行による金利上昇が懸念されたのは当然のことである。
 今度は財務省が低金利の守護神となった。景気回復時に日銀が金利を上げようとすると日銀に圧力を加えた。2000年代初頭、速水日銀総裁は財務省の圧力に屈せざるを得なかった。
 一方、企業側は90年代に進んだ企業会計の国際化によって、バランスシートに時価評価が導入され、地価の下落によってバランスシートが悪化するのを避けるため、せっせと銀行からの借金返済に力を注いだ。融資額が目に見えて減少する中で金融機関が目に付けたのが個人向け融資だった。80年代に大手銀行が個人住宅向けに金を貸すことなどはなかったが、住宅ローンに力を入れ始めた。同時に社会問題から経営悪化したサラ金を次々と傘下に入れた。もう一つがカードローンである。
 すべて個人を対象とした金融である。大手金融機関の業態はここ20年様変わりしたといってよい。
 金融機関にとって、大手企業からの借入金返済によって生まれた穴はそんなことでは埋まらなかった。目の前にあるのは国債市場しかなかった。国債を買っては売ることによって利ざやを稼ぐことが日常業務となった。
 本来、金利の高い金融商品が有利に取引されるのだが、国債の場合はまったく違っていた。金利が上がると過去に発行された金利の低い国債は売られて価格が下がってしまう。国債を大量に保有している金融機関にとって金利の上昇は資産の目減りとなる。だから金利がほしくないというのが本音なのだ。
 国債の大量発行元の財務省、国債の大量保有元の金融機関。双方の思惑が逆スパイラルとなってこの20年間、超低金利時代が続いてきたといえよう。
 金利と物価は大いに相関関係がある。ブラジルなどかつて超インフレを経験した国々では同時に超金利時代を経験している。低金利を維持したまま、物価だけを押し上げようとするのは経済原則に反する。安倍首相が物価とともに金利上昇も容認するならいわゆる「アベノミクス」を支持したいのだが、財務省は決して許さないだろう。
 これまでの日本が財政の悪化にもかかわらず超インフレになっていないのは国民の貯蓄がふんだんにあり、外国の資金を頼りにする必要がなかったからである。このまま行くと、国の借金を国民の貯蓄で賄えない時代が早晩やってくる。
 デフレ経済でこれまでの経済学にいくつかの矛盾を生じている。経済学は「実質値」を重んじるが、実態経済は「名目値」で動いているという矛盾である。右肩上がりの経済では経済成長は名目成長から物価上昇率を差し引いた実質成長率で測られる。しかし、現実の企業業績や税収など財政の指標は名目値で測られるのだ。