冒頭のエッセー「星より星への通路」は1921年8月15日に神戸の監獄の中で書かれた。前年12月、賀川豊彦は『死線を越えて』で鮮烈デビュー。1921年7月、三菱・川崎造船所のストライキでは労働戦士として脚光を浴びたのもつかぬ間、ストライキの首謀者として逮捕され、初めて塀の中の人となった。

 購入する【賀川豊彦セレクションⅩ】

 本書はそんな時期の賀川のエッセーや戯曲がちりばめられている。実生活で絶頂と奈落の間を行き来しながら、神に守られた自身の安堵感と社会の不正に対する強い不満が心地よく交錯する不思議な読後感がある。
「神に溶け行く心」はイエスがある意味で宗教改革家だったことを書いてあり、賀川自身が「神の子」として、神に溶け行く心境にも触れている。後にYMCA運動などにより、ノーベル平和賞を受賞したアメリカのモットが「現代に生存するキリストに最も近い人」(1931年8月4日、クリーブランドでの全米YMCA大会)と賀川を紹介したこともあった。しかし、自ら「神に溶け行く」心境を語ったことに対して教会から強い反発があったとしても当然のことであった。
 聖書にはキリストの血について多く書かれている。その昔、パンがキリストの肉でワインがキリストの血であると聞いた時には、なんて野蛮な宗教なのだろうかと軽蔑したものだったが、本書の賀川の文章で、ようやく納得した。
「けれど過去の罪悪を神に救っていただくのは、単なる生理的な血で心理的な罪を救う訳でない。血を流したから過去の血があがなわれるのではない。血が持つ愛による命の力を、キリストが与えて呉れたという意味である。血は新陳代謝の力をもって欠点を補ってゆく。血は形の崩れたものを癒し、働き得ないものをも新しく再生せしむる力を持っている。愛もそうで、人を愛するならば形のくずれた者をも再生せしめ得るのだ。キリストが人を愛したのは、ただ口先だけで愛したのではなかった。」
「肉体上の血を流すことと、人を愛することとが一致している。血を流した事実が愛の極致であった。即ち元来、血は一種の譬えとして用いたのであるが、血そのものが救うとまでいっている。ヨハネはさらに血を神秘的力を持つものとして説明している。血は肉体の汚れたものを掃除し、洗ってくれる。汚いものを集め、心臓に持ってゆき、さらに肺に運んで酸素できよめる。即ち「またその子イエスの血、すべての罪より我らを潔む」(ヨハネ第一書一・七)と説明した。イエスの愛そのものが、汚いものを包んで洗滌(せんでき)してくれる。」
 表紙装丁は伴武澄が制作した。(2013年8月20日、伴武澄)