賀川豊彦を理解しようとするなら、チャールズ・ディケンズを読めと言われたことがある。『オリバー・ツイスト』や『二都物語』など一気に四冊のディケンズを読んで、19世紀半ばのイギリス社会の貧困さを体験したことがある。

 購入する【賀川豊彦セレクションⅩ】

 資本主義が勃興し、労働者が都市に殺到することによってスラム街が形成されるのだが、その代償として農村社会が崩壊した。崩壊したのは農村社会だけではなかった。人口の移動が難しかった時代は、取りも直さず、良くも悪くも助け合わなければ生きていけなかった時代でもあった。
 その助け合い経済が崩壊し、代わりに通貨経済が勃興した。その結果貧困はスパイラル状に広がった。農村とスラムの違いは食い物がないことである。スラムが拡大すると人々は生きるために何でもした。
 通貨経済の大きな特徴は借金である。容易にお金が借りられると人々は必要だからと借金し、欲目にくらんで借金した。その結果、子ども達は金銭を対価として労働力となった。男の子なら丁稚にやられ、女の子は娼婦として売られた。
 もちろん、どこの国にも現在のような社会保障はなかった。そんな中からもう一度助け合いの精神を復興させようと立ち上がったのが賀川豊彦だった。
 賀川はスラム街に住み、貧しい人たちと生活を分かち合う一方で、社会改革に乗り出した。労働運動や協同組合運動がまさにそうであるが、人々の心の中を変革するためにペンの力も最大限活用した。最大のヒットとなった『死線を越えて』で巨万の印税を手にしたが、その金はほとんど彼の社会活動に消えていった。書けば売れることを一番知っていたのは自分自身である。だから、貧しい人たちにもぜひ読んで欲しいという本は意図的に廉価販売した。
『柘榴の半片』は昭和6年に教文館から1万部、定価20銭で発行された。驚くべきは20銭という定価設定である。当時の本の定価は1円以上だったが、賀川豊彦は多くの人に読ませるために安価での発行を決めたのだった。賀川の著作は奥付にある定価の設定で発行の意図を押し図ることができると言われていることが面白い。
『柘榴の半片』は、廃娼運動の目的を持って書かれたものであるが、当時その目的を次のように語っていた。
「廃業の仕方を娼妓に教えようとして本を書いても、彼等の中に入っていかない。たとえ入っていっても彼等にはわからない。それで小説にすれば必ず彼等の中に入っていくし、彼等はこれを読んでわかるようになる」
 賀川は生涯、300冊の著作をものにしたが、文学界に賀川の名前は残っていない。理由は単純である。「賀川が小説を社会運動の手段としたからだ」と考えている。多くの小説家が芸術の名の下に酒と女に溺れていったが、賀川にはそうした世界はまったく無縁であった。
 表紙は初版本を元に復元した。(2013年8月20日、伴武澄)