2007年7月5日、逃亡中のタックシン(元首相)が、拓殖大学の客員教授として招かれて「産業と人間」という演題で講演を行った。
 その際、次のような内容で自身の政策を振り返った。

 、、、私は、”デューアルトラック政策”(注)を遂行した。
 タイ経済は輸出だけではなく国内経済の成長が重要であり、よって農村経済の活性化を試みた。大事なのは貧困を社会のポテンシャルとして捉えることであり、農民を生産者へと変えていくことだ。
 網や釣竿を与え、魚の取り方を学んでもらう。
 コンセプトは、「資本がない中でとうするか?」である。
 これまでタイは農村によって支えられ、都市の発展を図ってきた。
 だが、あらゆるものが都市に集積することで、
 農村は益々疲弊し貧しくなっていった。
 だからこそ私は資本を農村に戻す策をとった。
 村落に融資し雇用を作り、経済発展を図ろうとした。
 それが大分県からの「一村一品運動」の導入であった。

 さらに、村の若者たちに奨学金を支給して人材の育成を図り、町にインターネットを普及させ、Eコマースを通じて村の作物を商品化していった。
 医療サービスも充実させ、貧困問題を解決していくビジネスモデルを作り上げる。
 無駄をなくし、収入を増やし、新しい機会を創出していく。
 何故なら、村人たちはみんな勤勉だからだ。

 しかし、私の考えは残念ながら都市の人びとと対立した。それは、予算が限られていたからだ。私は都市よりも農村を優先した。貧困問題を解決していくためには、生産力を伸ばしていくことが大切だ。そうしなければ、タイは永遠に貧困から脱却できない。、、、

(注)末廣はタックシン自身の説明を引用し、「タイがその潜在的な国力や経済力を発展させていくためには、輸出の拡大と通貨の安定が不可欠であり、外国資本の呼び込みが極めて重要である。
 しかし、外国資本の利益を蒙るのは都市部のビジネスだけである。
一方、農村部の『草の根経済』は、機会さえ与えれば十分発展する潜在能力をもっている。
したがって、彼らの能力を十分に引き出すために、政府は投資資金やマーケティングの面で支援しなければならない」とし、輸出戦略の拡大と共に農民層などの経済基盤を強化し、地域の特性を活かした地域活性化策を実施するなどの両面作戦政策のことであると述べている。
ま、パースックとベーカーの著書Thaksinにも、その政策内容が詳しく述べられている。

(以上、「アジアの市民社会とNGO」134と153ページから抜粋)