愛について考えるとき、私はどうしても身近な存在に下りていってしまう。世界の平和を祈る前に、すぐそばにいる人を幸せにするところから始めなくてはと思うからだ。
 愛するという行為は一方的に与えるイメージがあるが、本来は相手の価値観に沿って行うべきである。そして、その愛が正しく相手に届いたかどうかは、相手が幸せになったかどうかで測ることができるのでないだろうか。
 努力家の母と行き当たりばったりの父。今から思えば、父の頼りなさは子どもたちの自立心を促したのであるが、渦中にいたころはそんな風に考える余裕などない。
 「努力すれば、自力でなんとでもなる」という気概で人生を突き進んできた私にとって、父は、自分の力ではどうしようもならない存在だった。
 新約聖書に「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」(マタイによる福音書7章7~8節)という句があるが、私にとってはどんなに求めてもかなえられないこととして父の存在があって、信仰のつまずきにもなっていた。
 ところが、改めて今、父のどこがどう問題だったのか思い起こそうとすると、大したことではなかったんだと思えるようになっている。文句はいっぱいあるのだが、いちいちあげつらうことのできない自分がいる。
  「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年のアメリカ映画)で、主人公のマーティがつまらないことで腹を立てて人生を台無しにするのを、タイムマシ ンで時空を行ったり来たりしながら修正していく姿を見ると、父がもう一度人生をやり直せたら、こんな風に助言をして良い方向に導いてあげられるのに、と思 う。担ぎ上げられて大将になるけれど、それに見合った努力をしないでせっかくのチャンスを棒に振るということを繰り返した父は、家族にとっても親族にとっ ても困った存在だった。
 母は心労で身体を壊してしまい、そして熟年離婚。夫婦は離婚すれば他人だけれど、子どもにとっては親であることに変わり はない。夫に対して多少肩身の狭い思いもしたが、好きに生きるという点では夫も父も似た者どうしだったから、それほど気兼ねせずに父とのつき合いを続けら れた。
 それには仲人をしてくださった井上喜雄牧師のアドバイスが生きている。
 結婚前に井上牧師から「互いの親族の悪口を言わないこと。女の人は正しいことを言って夫を追いつめないこと。この二つを守っていれば、夫婦円満でいられます」という教えを受けたのである。
 一つ目はともかく、二つ目は男女差別じゃないかと憤慨したのだが、人生の極意だということをやがて理解した。
  寮のある会社に採用され、高齢になっても警備員として真夏の炎天下や極寒の冬空の下に立ち続ける父に「生活保護をもらったらいいのに」と言うと、「もっと 困っている人がいるんだから、自分がもらうわけにはいかない」という答え。そんな殊勝な考えがあるんだったら、なんでもっと早くに軌道修正ができなかった のだろうと、胸が痛くなった。
 年末年始に一緒に過ごし、松が明けると寮へ帰って行く父を見送るたびに、「バカね、おにいちゃん」と寅を見送る「フーテンの寅」の妹さくらの気分になっていた。
 70歳を少し過ぎたころ、父が持病の高血圧で倒れた。祖父も同じように倒れて半身不随になったから、いよいよと覚悟をしたのだが奇跡的に後遺症はなかった。同居しようと決めて、救急車で運ばれた病院から退院した足で我が家に迎え入れた。
  自分の親とはいえ、同居に際してはさまざまな軋轢があった。一番問題になったのは、父が自分を厄介者だと思って抱くコンプレックスである。コンプレックス が妙なプライドを刺激するのだ。井上牧師が言うように「正しいことで追いつめる」と、人はコンプレックスを抱くようになる。動物としてナイーブな男性に、 女の人の生真面目さをぶつけるのが得策でないことは、自分の経験からも明らかだった。
 父のコンプレックスはこれまでもさまざまな障害の原因になった。父はその弱さゆえに、虚勢を張らなければ生きていけない人間だったのである。そして不幸にして、その弱さを受け止めて慈しむ人間に巡り合うことができなかったのだ。
 我が家に来てからも、さぞかし居心地が悪かっただろう。小さな事件をきっかけに、父が「お前はおれよりも犬のほうが大事なんだろう」と声を荒げたことがある。そんな馬鹿なことを言わないと気が済まないところまで追いつめられていたのである。
 売り言葉に買い言葉で、行くあてもないのに「出て行く」と言った父に、一瞬、二つの感情が沸き上がった。一つは怒りに任せて無情に決別を言い渡す自分。もう一つは、積年の確執を融かし去りたいと願う自分であった。
  怒りではなく「もう無理しなくていい。ここが自分の居場所だと信じてほしい」と私が労(いたわ)りの言葉をかけることができたのは、なぜだったのだろう か。年老いて痩せた父が肩をふるわす。自分の力ではどうしようもできない存在だと絶望していた父に、やっと気持ちが通じたことを確信した。
 心から求めれば思いは必ず伝わる。伝わらないのは、「求めず、捜さず、門を叩かない」からだ。
 これは愛なのだろうか。そして、許すことができたのは自分の親だったからか。何度も考えてきたことだけれど、愛は血縁などという了見の狭いものにとらわれはしないと信じている。
  家は家族の記憶装置であり、「家族を『する』」ことで家族になっていく、と芥川賞作家の藤原智美さんが言っていた。父を許した私は、幼いころに父からも らった愛やいつくしみの記憶がつくったものなのだ。家族になることは、血のつながりやつき合いの長さに左右されない。かけた手間、思いの数だけ濃密にな る。そこに血縁を超えた「新しい家族」を築く可能性が隠れている。