当たり前のこと感じた国際平和協会の台北視察団
国際平和協会は9月26日から4日の日程で台北市を訪問した。少年鑑別所と高齢者施設を訪問するという7人のユニークなツアーである。団長の寶田時雄氏が台湾経済代表処の幹部と話をしていた時に「お互いの交流を深めるためには、普段訪れることのない社会的弱者の施設訪問が重要だ」ということで一致し、訪台団が急きょ編成された。その珍道中の一部を紹介したい。
高齢者施設訪問では、当初から通訳はいないと言われていた。不安に感じながらも小生の中途半端な北京語で会話が始まった。そこへ品のいい男性が「お困りでしょう。僕が通訳しましょう」と救いの手を授けてくれ、実のところホッとした。
台湾も日本に劣らず高齢化社会がやってきて高齢者問題は急務。その施設は認知症向けのデイ・サービスと高齢者向け住宅を併設している。高齢者向け住宅は一人で生活できる人々が対象で、シャワー付き個室に食堂での食事サービスがある。
認知症向けのいくつかの部屋を案内してもらった。ほとんど幼稚園か保育園のような飾り付けがあって、色彩も赤、緑、黄色とはなやかであるのに一同驚いた。一番驚いたのはほとんどの高齢者が流暢な日本語をしゃべったことである。
通訳を買って出てくれた男性は「僕は帝大まで出ました。台北大学です」と自己紹介した。戦後六七年を経ているとはいえ、80歳前後の人はみんな日本語で教育を受けた世代なのである。多くの入居者は久しぶりに日本語をしゃべったとみえるが、それぞれに嬉しそうに我々を迎えてくれた。
「日本からお見えになりましたか。なつかしいです」
「戦後、国民党がやってきて突然、教育は北京語になって困りました」
「北京語には日本語にない発音が多いので苦労しました」
日本人がすでに忘れている丁寧な日本語が交わされ、我々も驚かされた。台湾の高齢者が日本語をしゃべれるのは、考えてみれば当たり前の話である。これまで何人もの元日本人たちと出会ってきたが、これほど多くの元日本人と一堂に会したのは初めての経験だった。
台北少年観護所(鑑別所)では所長を含めて所員が玄関まで出迎えてくれた。日本人の来訪は初めてである。会議室には「国際平和協会歓迎」の垂れ幕があり、幹部が勢揃いし、台湾における最近の少年犯罪について丁寧な説明があった。
男女約150人の少年は当然ながら、幾重にも鍵のかかった所内で生活していた。数カ月ほどで少年院もしくは少年刑務所に送られる少年たちはけっこう明るかった。髪を染めている女子も少なくなく、まだ中学生と見受けられる子もいた。「ニーハオ」「日本から来たんだ」などと話すとニコッと笑って応対してくれた。
2001年、鑑別所に送られた少年は500人を超えていたが、その後100人まで減少、2年前から再び増加に転じている。窃盗などに加えて覚醒剤など薬物使用や売買が増えているということだった。少年達は一般的には番号で呼ばれることになっているが、最近では人権上、名前で呼ぶことにしているのだそうだ。
日本の同様の施設を見学したわけではないので比較はできないが、青森から参加した社会福祉法人の理事長さんは「少年鑑別所の運動会に参加したことはあるが、施設内をこれほど丁寧に見せてもらったことはない」としきりに感心していた。(国際平和協会 伴武澄)