「萱野長知・孫文関係史料集」の中に驚くべき報告がある。葦津珍彦というどちらかといえば靖国派に属する研究者が中国で見聞した日本軍兵士の蛮行を綴った文章である。
 昭和13年だから1938年、日中戦争が泥沼化していた時期の話である。中国が最近になっても日本を許さない歴史的背景の一光景であるはずである。
 さすがの葦津珍彦も戦前には発表していない。戦後になってしかも友人に配ったパンフレットにしか書けなかった事実なのであろう。

 視察報告記 上海戦線より帰りて
         昭和13年1月 葦津珍彦

 今や中支全戦線は、日本軍に依って荒廃に帰して終った。総ての財物は掠奪せられ、総ての婦女子は辱しめられた。かかる悲惨事は、凡らく近世の東洋史の知らざる所であらう。
 激戦の後に一つの町が占領せられる。民家に兵が突人して来る。「女はいないか」と血走った眼が銃剣をつきつける。恐れ戦きつつも、愛する者のために、男は「いない」と答へる。兵は二三発の弾丸を放つ。弾声に驚いて女の悲鳴が聞える。兵は男を殺して女を辱しめる。かくて数千の夫や親や兄が殺され、かくて数万の女が辱しめられたのである。
 兵はあらゆる所で掠奪した紙幣や貴金属を携へて行軍している。部落部落の牛や豚や馬は片端から徴発されている。五十円、六十円の牛が僅に三百万分ノ一(二銭)の値段で徴発せられる。戸棚も寝具も、衣類も引ずり出されて焚火の燃料に浪費されて終ふ。

 かくて数百里の間、中国の地は蹂躙しつくされようとしている。
 この日本軍が皇軍と僣称する事を天は赦すであらうか。
 我が日本民族の清き血を伝へ来った人々は之を赦し得るであらうか。
 天誅は必ず来るであらう。必ず来らねばならぬ。

 今や祖国は功利のどん底から理想の天涯へと飛躍せねばならぬ。然らずんば、亡国は遂に避け得られぬであらう。
 私は抗日戦線の華と散った数千万の中国の青年子女達に対し、心からなる哀悼の念を禁じ掲ない。私は諸君とこそ力強い握手を交し度かったのである。

 祖国を守らんとして、弱く後れた祖国を防衛せんとして山西の天険に、江南の平野に、若き命を棄てた諸君の生涯は美しい。
 私は諸君の如き中国の青年子女が数万となく失はれた事を想ふ時に、人生の淋しさをしみじみと感ずる者である。

 私は閘北の戦線で諸君の最後を想像した。
 諸君の行動は、真に真摯であり、情熱的であり、精悍であり、又純粋であった。
 諸君は実に中国民族の、否東洋民族の華であった。
 私の知友の一人は、戦線に於て諸君と百余日間(以下滅失)
 
 葦津泰國蔵。葦津珍彦が一九六七年知友に頒布した私家版のパンフレット(書名なし、非売品)より。葦津については本書四一六頁参照。