高知市の西にある須崎市浦の内に移住して20年、三好朝男さんは毎月、土佐一人新聞を書き続けてい る。今日その240号が配信された。三好さんは元々は香川県白鳥町の手袋会社スワニーの役員だった。20年前、50歳のとき、会社を辞めて奥さんのふるさとの高知県にやってきた。
 スワニーは今もお兄さんが仕切っている。1980年代後半にアジア取材を始めたころ、スワニーは 中国に進出して成功していた数少ない企業だった。結果的にスワニーの中国工場を取材することなく終わったが、僕にとってスワニーというのは大きな存在だっ た。
 三好さんを友人と尋ねたのは昨年暮れ。自給自足をしている面白い人がいるという話だった。スワニーの元役員とは知らなかった。ましてその関係者と高知県で出会うとは思わなかった。驚いたことに三好さんは萬晩報よりさらに5年も前から個人が発信するメディアを持っていた。
 20周年記念号の冒頭のコラムを転載させてもらう。

 一人新聞が20年経過
 今月号を編集しようとして、これが240号だと分かった。つまり20年も経過したのである。三日坊主の私が、毎月発行して20年も過ぎたのだから、自分でも驚いている。信じられない継続なのだ。
 そういえば1993年7月25日、女房と二人で、東京の家財道具をトラックに積んで、私が運転して、この部落の廃屋に住み着いた。そして、その8月末に土佐一人新聞の一号を発行した。廃屋の中で脚立に板を渡した仮台で、ワープロで書いたのを思い出す。
 初回から読者はずっと300名と限定してお送りしていた。始めはスワニー等の仕事関係の方々が殆どだった。が、何時の間にか、段々と読者が変わって行った。理由は一年間お送りして、一度も返事の無い方は迷惑なのだろうと、送付を止め、新しい読者に変えて行ったからです。
 その内、ワープロが故障した。修理に出すと、パソコンの方がこのワープロ修理より安いと言われ、キーの配列が同じだったから、原稿書きをパソコンに変え、それで数年が過ぎた。その内に、パソコンだから、インターネット通信を段々と覚え、今では大半の読者にインターネットでお送りするようになった。
 インターネット通信なら切手代が必要無く、インターネットだけで約300名、パソコンを遣って居ない方への郵送が120数名と言うのが今の読者です。
 一人新聞は、読者が居るから続くのであり、読んで呉れる人が居なくなると自然消滅する運命だが、商売でなく無料だから、自由気ままに言いたい放題を言えるのが良いようで、友人とお酒を飲んで騒いているのと同じ効果があるようだ。つまり発行そのものがストレス解消になり、面白いのです。
 まあ、これから何時まで続くのだろうか。後20年続くと480号になるが、私が90歳になっているから、無理だろうと思う。体は動いても、問題は頭の中身だから。これだけ忘れるようになると、5年やそこいらは良いが、結構廃刊は早いかも。

 この土佐一人新聞を読みたい方は下記のサイトをどうぞ。
 http://plaza.rakuten.co.jp/hitorisinbun/
 miyoshiasao@mb.scatv.ne.jpにメールすると月末に紙版の「土佐一人新聞」を配信してくれます。

 今月号の見出し
1 一人新聞が20年経過
2 漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)と言う本を知ってますか? 
3 アベノミクスはどうなるのか?
4 2度目のインプラント手術 
5 「月光」を毎日練習しているが、 
6 毎晩徹夜で猪番