Think Asiaという境地
この文章がニュースレターに掲載されるころには参院選も雌雄が決しているはずだ。日は小生が関わっている財団法人霞山会の広報誌「Think Asia」について紹介したい。2年前の創刊号に「孫文、梅屋庄吉、そして滔天、良政」と題してエッセーを書いた。アジアの平和は日中韓の協力無くして成り立たないことは自明の理である。にもかかわらず、この3カ国がこのところ角を突き合わせている。アジアにもう一度燈(ともしび)をという思いがあった。
100年以上も前のことである。清朝が内部崩壊し西洋列強がアジアに支配を拡げていた時代、アジアには危機感を共有する組織や個人が多くあった。小生がアジアに関心を持ち始めたきっかけは宮崎滔天が書いた『三十三年の夢』にあった。
熊本出身の滔天が我が身を振り捨てて孫文の革命に尽くした物語である。こんな日本人がいたのだという驚きだった。学校では日本がアジアを侵略したと教わったが、そうでない人たちもいたことにある種の誇りを感じたものだった。
大学の卒業論文ではインドの革命家、チャンドラ・ボースに挑んだ。第二次大戦中、英印軍のインド人兵士を再編成し、インド国民軍を編成。日本とともにインパールの地を目指した。小生には世上、愚挙とされたインパール作戦が別のものに見えてきたのだった。
アジアとの共感は定年後の今も続く。高知市に住み始めて、わが郷里に萱野長友という偉人がいたことを知った。滔天の物語に名前は出て来ていたが、長友の物語を学んで、これほどまでに孫文に信頼されていた人物がいたのかという新鮮な驚きがあった。
Think Asiaはそれこそ国境を意識しない意思を意味する。国際平和協会で生まれた造語である。われわれは日本語で「アジアの意思」を訳している。現在の中国も韓国も戦前の日本にある種似た国民感情があるように思う。「売国奴」といわれたくないという国民意識である。国家に忠誠であろうとすればするほどその意識は強まる。
両国に共通する「反日」は心からのものではないと思いたい。なにやら分からない大きなものに巻き込まれて「反日」を声高く叫んでいるだけなのだと思いたい。「反日」を叫んでいるかぎりにおいて自分は安全地帯にとどまっておられる。それに油を注ぐのがマスメディアなのである。
学生時代、ゼミの研究室に韓国の女性が訪れて話したことが忘れられない。「日本人は韓国で悪いことばかりしたのではないのよ」と母親からさとされたというのである。「木を植えることを教えてくれたのは日本人よ」という話だった。今も昔も日本をほめることは韓国において命取りである。プライベートの席とはいえ、初めて会った我々の心をほぐしてくれた一言だった。
その時以来、小生は売国奴と呼ばれるほどのアジア人になりたいと思っている。本当は地球人といいたいところだが、まだまだ精神修養が足りない。せめてThink Asiaの意思は持ち続けたい。東大を退官したばかりの姜尚中さんが最近、国際キリスト教大学で講演し、「東アジア共同体の虚妄に賭けてみたい」と話したそうだ。「虚妄」というところに姜さんのすごみがあるように感じられ、姜さんもThink Asiaの一人だったのだと一人合点した。(伴 武澄)