第一次大戦で独仏は信じられないほどの消耗戦をヴェルダンで戦った。不毛の殺し合いがEU誕生につながったのだとしたら悲しい歴史となる。しかし、われわれ東洋の人々はこの不毛の殺し合いの事実をあまり知らされていない。賀川豊彦の旅行記『雲水遍路』を自炊しながら考えさせられた。この文章に登場するペタン将軍こそは第二次大戦でナチの傀儡政権の首班となった人物である。
 ————————————–
 ペタン将軍は、また自動車の運転手を射られた。これで7人目である。
 そして、不思議に、彼だけが助かっている。彼の速力は平均60哩を下らない。まるで弾丸の飛ぶようだ、彼はその自動車を5台まで乗り潰し、彼の従卒を3人まで殺されてしまった。それでも、彼はまだその速力をゆるめ無い。
 ペタン将軍の速力が鈍らない間は、ヴェルダンの守りも破ることが出来ないであろう。
 独逸軍は、そこを4年8カ月打ち続けに攻め付けた。砲火の為に、森も林もみな焼け落ちた。それは恰も太陽の前に、水蒸気が蒸発するように、ミューズ川のほとりの美しい樅の林は株だけ残して、みな蒸発してしまった。
 村落も形を没した。一尺四方に弾丸が幾千貫と降り積もった。何人もそんなに完全に人間の破壊力があり得るとは信じなかったであろう。石と石が相重なり、瓦の上に瓦が積み重なっている所は一カ所にだって見ることは出来ない。砲弾の力で、石も、瓦も、煉瓦も、人間までが、完全に粉砕されて、土壌に化してしまった。ここでは、村落までが砲弾と共に昇天してしまったのである。
 5月3日、私の汽車は巴里から約4時間、独逸の国境に向って小山と平原の間を走って、ヴェルダンに着いた。漫遊客の多い、春の回覧季が過ぎたので、私は案内者を発見するに困難を感じた。32哩の間を自動車で見て廻るに客は私一人であった。
 案内者が、私に
「あしこにも300戸ばかりの村があったのです」
 と指差してくれた。そこは、一本の棒杭が嘗てあった村を記念する為に立てられてある切りである。そんな村が「ヴェルダン」の附近にも、「デュモン」の附近にも、何カ所もある。何万町歩の大森林は、すべて空中に烟として舞い上がり、今はただ松柏類が未だ地上に生え出でなかった前の原始の沈黙に帰って居る。
 細雨がしとしとと降る。そして、地下の英霊がみな泣いている。形ばかり十字架に組み合わせた細い角材が、林檎畑に苗木でも植えるかのように、何万本となく立てられである。それが、ここに、「2万」あしこに「1万」と組になっている。人間の種が生えて来るのであろうか? 十字架に枝が伸びて、アロンの杖の奇蹟のように、生木に芽でも吹くのであろうか?
 春雨に十字架が泣いて居る。私には、1本の十字架に一人の生霊が白い衣を着て立って居るように見える。そこには、敵も味方もない。みな、私の方を向かって立っている。
「徒労! 徒労! それは、あまりに大きな犠牲であり過ぎる」
 こうすべての生霊が私に向かって囁く! 私は、彼等の顔をよう正視しないで、仰向く。私は、彼等を慰める言葉を持たないのである。それを犠牲の死と考えるには、あまり安価過ぎる。それを犬死と考えるには、あまりに高価過ぎる。それは、大きな誤謬の死であったのだ! 文明の錯覚に、袋小路に入った畑鼠が、自分で自分を落し穴に追い込むように、文明人は自分が発明した大砲の前に自分を縛り付けた。その発明は有力なものであった。そして、完全に、自分が自分を粉砕することが出来た!
 吁、機械文明の最後! 呪詛と憎悪を弾丸で打ち貫くことを学ばないで、愛と仁侠だけを破壊することを覚えた商品文化の末裔よ!
「独逸軍は、ここで、1日に4万人死んだのですよ、あの丘を乗り越え、この谷の間に侵入したのですが、みな網に引っ懸かった小鼠のように死骸となって、そこに倒れたのです。彼等のその時の犠牲は、一週間に27万人を降らなかったでしょう」。こう、案内者は云った。
 デュモンを過ぎ、オサリーの記念会堂を後にして英語で「空(うつろ)の洞と呼びならされている所から、谷間に、降った時に。
 それは、文字通りの死の谷である。未だに燃えくさしの木の株が幾千となく、谷に面した丘陵の斜面に残っている。
 何処を歩いても、「徒労! 徒労!」と、土の中から叫び声が聞こえる。「死の谷」では、27万人の屍が、一声に、「徒労!」と私に向って叫んだ。
 それは誠に徒労に違いない。1300万人の人間を殺し(正確に云えば1299万571人)、2200万人の人間が傷ついて、独逸が亡びたので無ければ、フランスが勝ったのでも無く、世界はそれによって少しも善くならないで、依然として、暗黒と不安の中に座っている。それを思うとヴェルダンで捨てられた100万人の魂は、全く無用の死であったと考えて差し支えはない。(フランス軍だけでヴェルダンの戦死者は40万人で、その中30万人の屍は全く判別のつかぬ白骨と化した)
 私は、ヴェルダンの砲台と、デュモン Doumont の砲台に案内せられた。そこは、今なおフランスの兵士が、遊び半分に番をしている。私達が行くとカンテラをつけて、地下の秘密室を案内してくれた。鉱山の坑道のようになっている所を降って行くと、或る道は塹壕に連なり、或る道は地下の発電所に導かれる。そこには病院あり、礼拝所あり、弾薬庫あり、戎器(じゅうき)室があると云う仕掛けで、兵士の寝室はみな、汽車の寝台のように、ごく粗末な蚕棚になっている。
 地下の温度が高いものだから、天井裏から露がポツリポツリ落ちてくる。地下の要塞は階段の下に階段があって、余程、地理に詳しい人でなければ、一旦入っても出てくることが出来ない。要所々々に歴史があって、ここで、独逸側から掘ってくる塹壕と衝突して、一週間も相対峠していた所だとか、この砲門から、幾千の独逸兵を一度に射殺したのだとか、戦場にふさわしい物語を沢山聞かされる。
 ヴェルダンもドュモンも、深い谷に面した丘陵の上に立っている。そして、完全な地中の要塞になっている。その地中の要塞の小さい砲門からミューズ川の流域を眺めると、如何にも美しい。それは武州八王子附近の景色によく似ている。丘陵の後に、丘陵が重なりミューズ川は、その丘陵の間を銀色の鱗を持った大蛇のようによこたわっている。丘陵と云っても、あまり高くない山ばかりであるから、西北部は、遠く独逸の領域まで遥かに望むことが出来る、誠に一望千里、ヨーロッパの平原は、ヴェルダンで見るほど、荘厳な感を与えるところは、他に無い。
 私はドュモンの地下要塞の砲門から、ミューズの渓谷を覗いている中に考えた。
「こんなに平ったくて、こんなに相接しているから、喧嘩が起こるのだ。もう少し、高い山か、広い川でもあれば、はっきり、区切りが附いて善いのだが………」
 独仏の喧嘩は、正しく、あまり接近しているから起こって居るのである。相似たものほど競争が激しい原理によって、独逸とフランスは、あまりに能力が相似ているものだから喧嘩をする。それは恰も、共産党と社会党が喧嘩する如く、新教と旧教が相争うが如く。
 然し、それは全く無意味な闘争である。――共産党と社会党の喧嘩が無意味なるが如く、新教と旧教の争いが無用なるが如く。
 然し、そこに人間の愚さと、無智な点がある。無意味だと知りつつも亦、無効だと知りつつも、兄弟を押しのけたい嫉妬と独占の心理が、軈(やが)て共倒れの運命を、両者の為に持ち来らせるのである。
 人間は動く為に出来ている。そして、何かに打ち衝(あた)って行っている間は元気が善い。それで、人間は、時によると、打ち衝らなくても善いものまでに打ち衝って行く。――独逸とフランスの戦争、共産党と社会党の喧嘩、新教と旧教の派争がそれである。
 私はドュモンの記念納骨堂の十字架の聖像の前に立って、キリストが涙を流して居るのをみた。
 塹壕の夜、敵と味方の区別なく、そこに倒れている傷病者の為に、末後の水を汲んで居る白衣の聖者が、毎夜戦場を粛然と歩いているのを多くの兵士等はみたと云う。誰云うとなく、それはキリストだと云い出した。
 銃丸を恐れざる白衣の聖者は、今、納骨堂の御灯の間に立っている十字架の上に泣いて居る。ヴェルダンの戦場を見て、キリストは、どんなに泣いたことであろう。彼は人間の迷妄に堪え兼ねて、永遠に贖罪の死を遂げて居るのではないか!
 私が、聖像の前に跪いて、黙祷して居る間に、霖雨はトタン屋根を叩いて、軒の雨垂れは咽んで居るように聞えた。
 キリストが泣いている! キリストが泣いている! 聖像の上に泣いている! 屋根裏に泣いている! 雨垂れの中に泣いている! 霖雨として泣いている! 私として泣いている! ヴェルダンとして泣いている! 荒れすさんだ高原は、声を立てて号泣している! 救われざる土地! 贖われざる土!
 私は跪いている土の下より、声を立てて泣いている強者の嘆きをきく。――「贖われない、贖われない。何人か、人間の矛盾より解放してくれるもの………」と。
 ああ、欧州のキリスト教は、あまりに無能で有った! ただ信ずる事を教えて、愛する事を教え無い、偽キリスト教! 贖主を拝んで、贖わんとする意志を抛擲(ほうてき)した偽信者!
 いつまで、イエスを十字架につけておくのだ! 永遠にか? そうだ、欧州のキリスト教は永遠にキリストを十字架につける!
 キリストは既に甦ったはずだ。――我等の霊の中に甦ったはずだ! 愛として甦り、救いとして再生したはずだ! それだのに、欧州のキリスト教は、キリスト一人を永遠に、十字架に磔けて、自分はそ知らぬ顔をして居る。
 十字架の上に、キリストが泣いているのは当然である。
 然し、十字架の真理は永遠である。この荒波も軈(やが)ては、花咲く緑の野となろう。贖いの力は永遠だ! やがては、またミューズのほとりに聖歌の声の鳴り響く時が来るであろう。どれだけ人間が馬鹿でも、神の救いはそれより以上に愚かでは無い。根強い救いと、根気の善い御計画に、人間の馬鹿がみな贖れる日がくるのである。ただ、それを信じよう。その救いの計画を、自分を貫いて成長せしめよう。
 十字架の上から、キリストが降りて来て、彼は私の胸の中に入って行った。彼の血は、私の血に混じ、彼の脈拍は、私の脈拍として信ぜられる。贖罪への出発だ! ー人の尻ぬぐいに出掛けるのだ!
 もう、私は泣かない! 私は復活のキリストを見たでは無いか! 私はキリストの事業の後継者ではないか! キリストは私の魂に生きているではないか! 私はキリストの断片ではないか! 「私」としてキリストではないが、神に魅せられたものとして、そうだ!
 私は神の国の世嗣ぎだ! 神の子だ! 「贖罪愛」の後継者だ! 私にキリスト天地の「贖罪愛」(キリスト)が侵入して来た事によって、そうなった。何時まで、私は黒土の嘆きに悲しむか! 私は天の癒しに、既に天につけるものではないか!
 私は、祈っている中に、天にこんな声を聞いた。
 悩むものよ、わび人よ、
 窓の座に、来れや!
 天の力に、癒し得ぬ、
 悲しみは、地にあらじ!
 歴史上に現れたキリストは、宇宙に充つる贖罪愛の現実的表象にしか過ぎぬ。真のキリストは、歴史上のキリストより偉大である。歴史のキリストは1900年前に死んだ。然し、宇宙に満つる贖罪愛のキリストは、永遠に私の胸に生き返って来てくれる。永遠のキリストは、歴史上のキリストの連続性である。嘗て、その愛の泉に涸れたことが無い! 永遠のキリストよ、湧き上れ! 永遠の愛よ、ほとばしり出でよ………
 私は、ドュモンの瞑想の中にこんな意味のことを示されて、再び立ち上った。それで、私は納骨堂から出て、「空ろの洞穴」まで行く間、「天の力に癒し得ぬ、悲しみは、地にあらじ」を小声に口ずさんだ。
「空ろの洞穴」は、セメント・コンクリートで作った¬形(かぎがた)になった回廊の如き建物である。108人の英雄が、剣突き鉄砲のまま、ここに埋っているのである。回廊に似た¬形の建築物は、塹壕の形である。塹壕が¬形に掘られてあるのだ、その中で、108人の連合軍の兵卒が、剣突き鉄砲で進撃の準備をしていたのだ。
 その時に、空中に、百雷の響き、轟き渡り、一瞬の中に、その塹壕は地中に没し、わが勇敢なる兵士等は、剣突鉄砲を地上にもたげたまま、埋れてしまったのである。休戦の喇叭(らっぱ)響き渡り、戦場を片付ける為に、看護卒が、そこに馳けつけた時に、百八つの剣銃は、恰も勇者の墓標の如く、その下に一つ一つの英霊を埋めて空しく立っていた。
 軍司令部は、その悲愴な光景を見て、それを、永遠に記念すベく、その上にセメント・コンクリートの回廊を作った。それは家でもなく、納骨堂と云うのでも無く、吹きさらしの空ろである。さればこそ「空ろの洞穴」と云う名が与えられたのである。
 ヴェルダンのすべての死骸は、もうみな片付けられた。然し、ここだけは、永遠の進撃を記念する為に、そのままに残されている。私は地中の兵士の姿を見透(すか)すわけには行かない。然し、おそらく、彼等は未だに、休戦喇叭を聞かないで居るであろう。その顔を、敵陣に向け今もなお屈せざる進撃を続けているであろう。彼等は死に面して、死を怖れず、振り上げた銃剣を、そのまま降さずに、そこに不動の姿勢を取っている。
 永久の不動の姿勢! そして永遠の進撃! 彼等は、未だに1918年11月11日の休戦喇叭を聞かずに、地中に立ちすくんで居ることであろう!
 今は休め! 勇士等よ! 我等は、永遠の誤謬から解放して貰おうではないか! 新しき時代には、新しき進撃がいる。私は、君等の進撃を咎めるわけでは無い! 然し、血の為の進撃は、愛の為の進撃に訂正せられるべきはずだ! 
 休め! 兵士等よ! 新しき号令のかかるまで、そこに休め! 我等は兄弟垣に鬩(せめ)ぎ、父子相争う、人間闘争より解放せられねばならぬ。行け、勇士よ、新しき戦いに! そこは、愛と十字架の外には何者もなく、自由と一致の外に何者もなき改造の世界へ!
 欧州は今なお低迷の世界に彷徨いている! 贖ってやれ、勇士等よ、汝の塹壕より躍り出でて。
 霖雨は、私の外套をしっとりと漏らし、私の中折帽の縁を伝って、滴が垂れる。
 ヴェルダンの小山は雨に烟び、私は、永遠に黙せる英雄の剣先を見守って立つ。ミューズ河は白く光り、国境の山々は靄に蔽われている。
 いつ、この霖雨が晴れることか? ヨーロッパは永遠の雨だ!