とんぼ返りで東京に行っていた。汽車で瀬戸大橋を渡ると橋の西側と南側は空がまっくろ。台風16号がいま、九州の西を北上しているというから、列車は大雨に向かっている。大橋の西と東の空の明るさがコントラストをなしているから、何やら天気の境目を通っている感がある。橋を渡りきると本当に大粒の雨が窓ガラスを叩き始めた。
 東京駅の本屋で宮本常一『山に生きる人びと』を見つけ、ずっと読みふけっている。この本は昔、読んだことがあるが、山に暮らしてみて読むのでは味わいがまったく違う。
 山に生きるための生活手段は少なくない。畑仕事のほかにまず狩りがある。イノシシやシカ狩りだ。木こり(杣)、大工、炭焼き、竹細工・・・。実は山の仕事はたくさんあったのに、今では町で行われたり、コストが合わなくなったりしてほとんどが衰退してしまっている。
 本を読んで思い出したのは木地師のことだった。津市にいたころ、なぜか鈴鹿山脈の中の君ケ畑を訪ねたことが思い出された。
 君ケ畑は全国の木地師の総本山のような場所だった。平安時代、文徳天皇の第一子でありながら、政争に敗れた惟喬(これたか)親王が隠れ住み、山の人たちにロクロの使い方を教えた。宮廷で使っていた椀や盆づくりの技術が広まった瞬間なのだという。椀や盆はロクロなしにはできない。君ケ畑には当時のロクロが保存されている。回転力は軸に巻き付けた太い縄を向こうとこちらと出互いに引っぱることで生み出す仕組みである。
 いまでも全国に広がる木地師は君ケ畑の神社の氏子で強い連帯感を持ち続けているというから驚いた。君ケ畑から全国に広がった木地師たちは山の道をつたい、トチやブナといった材料を求めた。
いまでも漆の塗り物は高級食器の一つだ。当時の山のなりわいで椀や盆はかなりレベルの高い付加価値を生み出した産品であるといっていいかもしれない。
 土佐山では木地師はいないが、電動ロクロを持ち込めばあっという間に木でお椀やお盆をつくることができる。木工家具や建具づくりよりよっぽど楽にみばえのいい商品ができそうな気がする。