今日、高知市の植野勝彦さんが、7月に上海で作家の于強さんと出合った話をしてくれた。于氏は7月末、文匯出版から『海嘯生死情』を上梓したばかり。東日本大震災による津波で20人の中国人研修生を避難させた後、命を絶った宮城県女那川町の水産加工会社の佐藤充専務の話に感動して書かれた小説だ。
 尖閣列島問題が再び日中間で再燃し、日中の世論が激しく揺れ動く最中だったため、残念なことに、この出版は大きく取り上げられることはなかった。植野さんは長らく日中友好協会高知支部の幹部として両国の友好に尽力してきた人で、双方のマスコミによって煽られる日中対立に胸を痛めている。
 于氏は日中関係を素材に多くの小説を書いてきた。今回はその第5弾。当時、佐藤専務の美談は中国のメディアを通じて大きく報道され、中国のネット上でも「感動した」との書き込みが相次ぎ、多くの感動を呼んだ。その5月に来日した温家宝首相も「国籍にかかわらず救助した。高く評価している。災難の中で得た友情はとても大切で貴重だ」と最大限にたたえた。
 そもそも于氏が小説を書くきっかけとなったのは、于氏が安徽省馬鞍山の外事弁公室にいたとき、日本人孤児の古蓮雲(日本名=西山幸子)さんとの出会ったことだった。共同通信社の辰巳知二記者による記事「日中の人間ドラマ紡ぐ作家」によると、古蓮雲は終戦の翌年、大連で中国人に預けられ、中国人として育った。文化大革命の最中、夫に日本人であることを告白したことから苦難が始まった。于氏と出会ったとき「ぼろぼろの服を着て、何を話してもすぐ泣き崩れてしまった」という。
 その光景がそもそも小説家を目指していた于氏の創作意欲を書き立てたのだった。日中の友情を題材として小説を書き続ける于氏に日中の度重なる騒動はどう映っているのだろうか。まもなく『海嘯生死情』の日本語訳が出版される。