土佐山日記16 炭焼き
今日は旧暦の七夕。堪ちゃんが旧暦の七夕は晴れて土佐山では天の川が見えると言っていた。
一昨日と昨日は高川公民館近くの炭焼き小屋で炭焼きの準備。炭焼きクラブの人々が今でも年に何回か炭焼きをしている。その炭焼きクラブの人たちに手伝ってもらって真夏の炭焼きを行おうというのである。
古老によると、土佐山では数十年前まで炭焼きをなりわいとしていた。昭和30年代までの話である。山に住む人々がそれぞれの山に炭焼き小屋を持っていた。夫婦と子ども、3、4人で木を切り、窯入れをした。今なら細いながらも舗装道路があるが、当時は歩く道しかなかった。出来上がった木炭は俵に入れて川べりの県道まで担いで下った。木炭は山の貴重な現金収入源だった。
授業が始まった。樫の木を中心に山で木を切り、太い枝は半分、4分の1に割る。チェーンソーは使わない。鉄のタガを割れ目に入れて鉄ハンマーで割る作業はけっこうな力仕事だ。重たい上に樫やツバキは硬いのだ。何人かダウンした。
1メートルから1メートル50センチぐらいに切った木を今度は窯にじゅんぐりに入れるのだが、並べるはプロの大崎さんの仕事。窯は直径約3メートルの広さ。中から大崎さんが大声で「何センチ、何本」と叫ぶと、ぼくらは適当な長さの木を選んで窯に運び込む。窯の上部に隙間ができると完全燃焼してしまうので、ぎりぎりまで木を詰め込む。ここらがテクニックなのだそうだ。
僕は特別に竹でつくったコップを2つ、窯に入れてもらった。炭化しないで燃えてしまうかもしれないと言われたが、コケを入れてうまく焼き上がった話をきいていた。「万が一でも真っ黒な竹製のコップだできたら御の字」のつもりである。
2日目の終わりに窯は木でいっぱいになった。外に山積みとなっていた木の枝がほとんどなくなったから、相当の量の木が窯に入ったことになる。今日、入り口を石と土で完全に密封し午後4時に火入れを行う。終わった後は高川地区炭焼きクラブの人たちとバーベキューをして星をながめることになっている。楽しみだ。