土佐山日記13 よさこい踊り
よさこい踊りのシーズンがやってきた。ここ数年は山中千枝子さんという元越知町の小学校の校長先生が主宰する「響よさこい国際交流隊」で踊っている。今年は辞めようと毎年思いながらも山中先生と会ってしまうと断り切れなくなりずるずると参加を続けている。なんと今年は連のスタッフに”昇格”してしまった。
土佐山アカデミーは昨年、福島県の「ワンダー浪江」の踊り子たちのお世話をしたことから今年は本格的に受け入れることになった。浪江の踊り子たちは菖蒲地区の公民館で宿泊し、市内に繰り出すことになる。受講生は特待生として連に招待されているが、僕は一人国際交流隊で踊ることになる。すでに練習は3回ほど参加した。
国際交流隊は元々、高知県の肝いりで発足した。県内在住の外国人にもよさこいの門戸を開こうと始まった事業だが、数年で助成金が途絶えてしまった。後は山中先生の奮闘で活動が続いている。貧乏所帯であるから他の連のように市内の移動にバスはない。ひたすら歩く苦行を強いられる。その分参加費は格安である。いつもは50人内外のチームであるが、今年はAEONのショッピングセンターに参加申込書を置かせて貰ったところ、120人を超える申し込みがあった。
もう一つ高知工科大学が中国とタイからそれぞれ5人ずつよさこいへの参加者を募集したため国際色が一層強まっている。彼らは8月5日に高知に到着し、速成でわれわれの踊りを習得してもらうことになっている。中国とタイとの橋渡しをしたのは工科大学に勤務する僕の姉だった。日本の若者が熱狂する「よさこい」にアジアの学生も巻き込もうという魂胆である。
何を隠そう、山中先生と僕は国際交流隊をクアラルンプールに”輸出”した実績を持つ同志なのだ。2002年は地元のショッピングセンターで踊り、2003年は5万人が集まる世界最大のBONODORIに参加した。記者会見をしろという地元メデイアに応えたこともあった。中国語で「鳴子舞」というよさこいの中国名を即興で考えたのもその時だ。翌日の華字新聞にそのまま使われていたのには吃驚した。ちなみに現在、高知県のオフィシャルページでは「夜来節」で表現している。