7月5日。台湾から鄭さんが高知に来るというのでいったん山を下りて高知市内で妻と一晩接待した。5月に台南市の烏山頭ダムで行われた八田與一の70年目の慰霊祭に参加した。昨年公園化された一角に八田與一邸が復元され、多くの観光客で賑わっていた。テラスで休息していた僕らに声を掛けてくれたのが鄭さんだった。
 一昨年前のNHK大河ドラマの龍馬伝は台湾でも放映されて、一気に龍馬ファンが増えたのだそうだ。鄭さんは毎年6回ぐらいビジネスのため日本にやって来る。四国は初めてだが、相当の日本通である。龍馬の故郷と松山の秋山好古、真之兄弟の記念館を訪ねるのが目的だった。
 鄭さんに土佐山アカデミーで学んでいる話をした。話しているうちに日本が緑なす森林資源の国であることに今更ながら感づかされた。
 高知の山についてはまだ素人の域の知識しかない。2日にオリエンテーリングを兼ねて土佐山のさらに山の中をドライブした。大雨の中、林道ばかりを走った。3時間で30数キロしか走れない。視界には水と森林しかない。受講生のみなが一堂に漏らした感想である。話を聞くと昭和30年以降の植林によってその森林が形成されてきたことが分かった。
 昭和30年ごろの土佐山の写真と較べてみると圧倒されるほどの変化がある。当時の写真には巨木がほとんどなかったといっていい。養蚕がまだ盛んで山には多く桑の木が飢えられていた。換金作物としてミツマタも健在だった。これは和紙の原料となる。
 日本の山がスギとヒノキの針葉樹ばかりであることへの批判は確かにある。しかしオリエンテーリングの第一印象は「よくもまぁこれだけ植林したものだ」という驚きだった。
 高知県の森林は県面積の84%を占め、日本一なのだそうだが、土佐山はそれを遙かに上回る。当たり前の話だが、鏡川とそのいくつかの支流で構成されるのが土佐山で、川と道路を除いた面積が森林なのだから、100%に近いといっていいかもしれない。
 ふと思いついたのはこの森林をエネルギー換算できないだろうかということである。森林は大気中の二酸化炭素を吸収して長い年月をかけて形成されたものである。はやりの温暖化議論での森林の二酸化炭素吸収量から逆算すれがそう難しいことではなさそうである。つまり原油埋蔵量のような形で日本の森林資源をエネルギー価値として再評価するということである。日本の森林の資源化などはコスト的に割が合わないのが現状だが、少なくとも数値としてわくわくするような結果が出そうな気がする。
 メソポタミアもインダスも黄河も古代文明といわれたところにはすべて巨大な森林資源があったとされる。これは定説である。人間がその森林を破壊したためその地が砂漠化し、人が住めなくなった。戦前、八田與一が台南につくった烏山頭ダム建設は嘉南大洲という下流域を穀倉とするためだった。当時、台湾は雨量があっても保水力が不足していたため下流域は水不足に悩まされていた。
 10年も前のこと、鳥取大学の遠山正瑛さんを取材したことを思い出した。内モンゴルに30年かけて植林を続けていた人である。「木を植えるとやがて森となり、動物たちがよみがえり、川や湖までできてしまう」という夢のような話である。森林が気候までも変えてしまうというのである。
 日本は森林というエネルギー大国であるという意識が生まれたらどうだろう。ほとんど逆転の発想が土佐山にはあるかもしれない。
八田與一を偲ぶ烏山頭ダムでの5月8日 http://www.yorozubp.com/2011/2012/05/0516.html
台湾で最も愛される日本人-八田與一 http://www.yorozubp.com/2011/2012/02/02082.html
内蒙古で木を植え続ける遠山さん http://www.yorozubp.com/0104/010406.htm