7月4日(水)朝6時、山には霧がかかっていたが、6時半、山のかなたに太陽が差し出し青空が山の上に広がった。山の朝だ。2日前から住んでいる家は高川川が鏡川に合流するあたりにある。
 夜来というか、絶え間なく瀬の音がしている。家にはテレビはない、ネットはおろかラジオも電波が弱く、持参した小型ラジオは使えない。瀬の音以外にこの家では音のするものがない。いやさっき時報を知らせる「有線」が突然入り、短時間クラシック音楽を流していた。
 土佐山唯一のストアで新聞を買おうと散歩した。店には「閉店」の看板がぶらさがっていた。そうだ開店は午前9時だった。あたりは土佐山の中心地で、高知市役所土佐山支所やJA、郵便局、土佐山ストアがある。30分歩いて犬の散歩をさせているおばちゃんに一人だけあった。「おはようございます」。今朝初めての会話を交わした。県交通のオレンジ色の車体のバスには3回遭遇した。さすがに朝夕はバス便があるのだと知ってホッとした。
 ちなみに新聞宅配はここでは一般的ではない。道沿いにあるポストまで下りて取りに行く家が少なくない。もちろん統合版であるから夕刊はない。県都の中心から30分圏内で地元紙の夕刊がないところも珍しいだろう。
 30年以上も前のことである。新聞記者になりたかった。父親の仕事の関係で引っ越しばかりの生活が嫌で、故郷の高知新聞を受けた。結果的に共同通信にお世話になることになったが、その時に聴いた話である。高知新聞は全国有数のシェアを誇っていた。80%近いと言っていた。朝日や読売は大阪で印刷して高知まで陸路・海路を経て運ばれていたから、ニュースは一日遅れだった。高知新聞は共同通信から多くの記事が配信されるから、それこそ「新聞」だったが、それ以外の新聞は旧聞に属していた。シェアが高いのは当然に思われた。
 高知新聞の問題は山間地の宅配だった。隣の家まで何キロもあるようなところで一軒一軒配達はできないので、小学校の下駄箱に新聞が「配達」され、子どもたちが下校するときに家に持ち帰る。そんな地域のあることを聞かされた。それから数十年たった今その山間地に住んでみて情報のありがたさが実感として分かるようになった。