とある会合で出席者の一人が面白いことを言った。
「高知で最初に交通信号機が導入されたとき、どんなに説明しても人々は意味が分からなかったに違いない。”進め””止まれ”が分かってもなぜ規則を守らなければならないのか。新しいツールが導入されたときの反応はいつの時代も同じではないか」
 それで家に帰って、その”いつ”を調べてみた。日本では1930年(昭和5年)に、東京の日比谷交差点にアメリカから輸入した電気式の交通信号機(右=縦型だった)が設置され、その年の12月に,国産第1号の自動交通信号機が、京都駅前ほか2か所に設置されたのだそうだ。
 昭和初期ということに驚いたが、そもそも日本に自動車が数千台しかなかったから当たり前といえば当たり前の話なのである。ちなみにその信号機には、青灯に「ススメ」、黄灯に「チウイ」、赤灯に「トマレ」と書かれていた。
 世界初の電気式信号機はニューとヨーク市5番街の交差点に設置されたもので、日本より12年前の1918年で、この時,黄色は「進め」、赤が「止まれ」、緑が「右左折可」であったようだ。交通信号は1868年、ロンドンで始まったもので、当時電気はなく、ガス灯を使った。もちろんロンドンの町を走っていたのは馬車ばかりだった。
 なぜこんなばかばかしいことが気になったかというと、来月から住む土佐山に交通信号機が1基もなかったが、最近、初めての信号が設置されたと聞いたからだ。人口が1000人と少なく、それに伴って交通量も少ないからこれまで信号の必要がなかったのである。
「信号のない村」っていい響きじゃないですか。高知県県警で土佐山の交通事故の様子を調べたらもっと面白いことが分かるかも知れない。それにしても日本は信号機の多い国だ。
『交通信号機のルーツをさぐれ! 』(2001年、アリス館)があるらしいが、絶版である。