正月も大分過ぎて、1月も半分が過ぎた。高知新聞の正月紙面の一面トップは「公の群像」という連載の第1回目だった。東日本大震災で地元の公務員ががんばった話を紹介しながら、続く。
「そんな思い半分。複雑。私ら家も仕事も失って収入セロ。なのにおんなじ被災者でも、公務員だけはちゃんと給料もらえんだからね。やっぱり、いい身分だよ」
 高知県の市町村に勤める公務員の数は2011年4月1日現在で9319人なのだそうだ。これに対して県職員は14100人。教職員が7957人、警察官が1892人、その他出向など838人。1993年の17475人に較べれば、相当減っている。たぶん市町村でも減っているだろうが、合計すれば県と市町村で23419人。人口規模77万人の高知県で多いのか少ないのかが問題となる。
 2万3000人の職員には妻がいて子どももいる。平均4人として約10万人の人口である。加えて公務員のOBもいる。平均寿命が80歳として、1万人をゆうに超えるはずだ。妻もいれば2万人となる。つまり12万の人が税金で食っていることになる。おおざっぱな言い方をすれば高知県の7人に1人は「公」の人口だということができる。逆に言えば、7人で1人の「公」を養っていることになる。もっと厳密にいえば、専業主婦や就労していない子どもたちも多くいるから、3人で1人の「公」を支えているといったぐらいが正しいのではいかと想像している。
 問題を所得に敷衍すればさらに問題が大きくなる。手元に統計はないが、筆者の親戚に教員をしていた老夫婦がいる。2人の年金が合わせて50万円をゆうに超える。東京や大阪ならいざしらず、高知県で50万円の月収を得ることは並大抵ではない。
 公務員の給与は県レベルや大きな市でいえば国家公務員と遜色がないが、町村になると相当に低いことになる。だからあまり乱暴なことはいえない。しかし、高知県で公務員よりいい給料をもらっているのは、マスコミ、銀行ぐらいのものではないかと推察している。
 そうなると「公」を支えているのは2人に1人より少ないことになっているのではないかと思えてくる。民主党のマニフェストの「公から民へ」が多くの有権者の支持を得た意味もそこらにあったはずだ。
 東日本の被災地での「いい身分」の意味はさらに厳しい。民間だったら工場や事業所が消失したら賃金など発生するはずもない。被災地の場合、地方税収入はほとんどゼロであるはずだ。公務員の場合、庁舎が喪失したとき、どこから誰が彼らの給料を支払っているのだろうと考えざるを得ない。