師走も半分が過ぎ、注連飾り(しめかざり)が話題になる時期になってきた。そもそも注連縄は、神社などで結界を示すしるしとして稲わらなどを束ねて巻き、紙を切った紙垂(しで)を挿したものである。それが正月になると個人の家の玄関や門に飾るようになった。各地で特徴のある注連飾りが飾られているが、伊勢・志摩では一年中、注連飾りがあるのがおもしろい。
 伊勢市を歩いていて真っ先に気になったのは、この注連縄だった。注連飾りに文字が書かれ、半分くらいは「蘇民将来子孫家門とあるから目立つのである。神領民といわれる市民だけあって信仰深いのだとも思ったが、そもそも伊勢神宮の正宮、別宮、摂社、末社が4市以上にまたがって点在している広大な神域であるから結界も何もあったものではない。伊勢、志摩ではそこかしこに神が宿っているのである。
 注連縄で思い出すのは、大相撲の横綱である。土俵入りに締める太い綱は稲わらではないが紙垂があり、注連縄そのものである。古来日本では舞や演劇は神に奉納するもので、相撲もまたその作法を継承したから、神事が伴う。相撲で仕切りの前に拍手を打ったり、塩をまいたりする所作は神道そのものである。力士の相撲が神技になってようやく横綱になれるのだから、最高位の力士が注連縄を締めても一向におかしくない。

 伊勢市では毎年4月に大相撲の地方巡業場所が開催される。毎年開催されるのは伊勢市だけである。横綱が伊勢神宮に土俵入りを奉納するしきたりがあるため、伊勢市民は毎年、大相撲を観戦できる栄誉に恵まれている。それしても筆者が津支局に在任した2004-2006年は横綱が朝青龍一人だけだったから、モンゴル人である朝青龍のみの土俵入りとなった。大相撲会を代表した年一回の神さかへの儀式が外国人によって続けられることにある感慨があった。神道の儀式をここまで見事にまっとうできるなら国籍の有無に関係なく「日本人」なのだと考えさせられた。
 話を注連飾りに戻す。伊勢と志摩では年中、注連飾りを飾り、多くに「蘇民将来子孫家」の文字が入っていることはすでに書いた。理由はスサノオノミコト伝説にあるらしい。詳しくは聞いていないが、以下のような話である。ある村に二人の兄弟がいた。旅をしていたスサノオノミコトが一夜の宿を探していたところ、お金持ちの弟の巨旦(きょたん)はスサノオの汚れた身なりを見てことわった。貧しい兄の蘇民将来は家に行くと、招き入れもてなしてくれた。スサノオは蘇民の妻となっていた巨旦の娘に茅の輪を授け、蘇民の家に今後、「蘇民将来子孫家」と書いた護符をつけるよう命じ、巨旦の一族を滅ぼした。おかげで蘇民将来の一門は疫病や災難を免れたという。その護符が伊勢や志摩の注連飾りとして伝わり残っている。
 蘇民将来伝説は日本各地に残っていて、「茅の輪くぐり」によって疫病から免れる儀式が執り行われているが、注連飾りに無病息災を託す風習は伊勢と志摩だけのもののようだ。