しらけた高知の首長選挙
本来、高知県知事選と高知市長選のダブル選挙となるはずだった。しかし、知事選では現職の尾崎知事以外の立候補はなく、無投票当選となり、選挙ムードは一転してしらけてしまった。
知事選も市長選も民主党と自民党が現職に相乗りした時点で市民の関心は遠のいていたのかもしれない。相乗りという点では大阪も同じだった。
違ったのは争点である。大阪維新の会が「大阪都」構想を打ち上げて賛否を問うたのに対して、高知では「来るべき震災対応」ぐらいしか語るべきテーマがなかった。
原発問題に端を発したエネルギー政策がもっと語られてもよかったと思うし、高知をどうするとか四国の将来を語るビジョンとかいくらでもマニフェストに掲げる政策があったはずだ。特にエネルギー政策は今後、9電力体制ではなく、都道府県単位で立案実行されるべきテーマである。
二次産業がない高知県としては、せめて自給ぐらいは考えられないのかと思う。要は、これまでの行政の継続しか考えない「官僚型」首長を戴いている不幸なのだろう。尾崎知事は元財務省官僚だし、岡崎市長もまた市職員からのたたき上げ首長。ともに人柄は悪くないが、既存の枠組みを大きく組み替えていこうというパッションは感じられない。
全国に目を転じると、10年前には多くいた改革派の知事がほとんどいなくなってしまった。長野県の知事になった田中康夫氏は、結局、議会と職員、それから地元マスコミにもそっぽを向かれ、長野県を変えることはできなかった。
話題が沸騰している大阪の場合だが、橋下徹新市長が自ら語るように、「職員の意識変革」なくして大阪都もへったくれもない。職員の大勢は大阪市役所がなくなることには大きな抵抗を示すであろう。府と市とが一緒になれば、職員は半分近くにまで圧縮できるだろうから財政的に大きなメリットが生まれ、名古屋の河村市長ではないが、「地方税の大減税」も夢ではない。
小説の中で大阪市長になった賀川豊彦が90年前、煤けた大阪の空から煙突をなくす運動を開始するが、議会と職員のサボタージュに出会い、職員の変わりに主婦に行政を任せるという痛快な場面が登場する。
空中征服 http://www.yorozubp.com/2011/2010/04/think-kagawa-3.html
行政が住民のためにあるのに、いつの間にか、市民の就労の場に転じているのが一番の問題なのだ。橋下新市長や河村市長が問題提起しているのは、まさにこの一点であるといっていい。
特に高知県のような低所得自治体では、給与も退職金も年金も公務員は高嶺の花。サービスをしている職員の方が裕福だというのでは一般市民はやりきれない。高知にも風雲児の出現を期待したい。