引越しは定年の5月5日だった。共同通信社の定年は誕生日と決まっている。高知に帰るのに区切りがいいと考えた。引越しは次男と三男が手伝ってくれた。アリさんの引越社が最後の引越しとなるのだろうか。ふとそんな思いが去来した。去来といえば陶淵明。
 陶淵明の「帰りなんいざ」(帰去来辞)はすべての官職を退けて田園に生きる心情を語った詩である。僕の場合は、単に根無し草の人生に終止符を打つのが目 的。思いは随分と違う。津市ですごした2年半の思いは「欲望をかきたてない土地」に住む心地よさだった。デパートがない、繁華街がない、暇をもてあまして 歩く空間すらない。それが心地よいのである。庭の草月とたわむれ、それに飽いたら浜に出て遊び、時として月を愛でる。
 定年の1週間前の4月28日(木)の日記である。
 夜来の風雨が晴れた。五月晴れである。昨夜、恵比寿で夜11時まで飲んだ酒が残っている。新聞を取り、植木に水をやり、シャワーを浴びてコーヒーとトーストの朝食。電源をつけたままのパソコンは機嫌が悪いらしい。何も表示しないので強制シャットダウンした。買っ たばかりの麻の半袖シャツに腕を通し出勤した。元参議院議員の日下部さんと昼食の約束がある。夜は二男と長男が銀座の鳥ぎんで食事をすることになってい る。今日の予定はそれだけだ。
 京王線上北沢でパスモは850円を示した。定期券はすでに4月11日で切れている。パスモもちゃんと終わり時を知っているのか。「最後の一日」を書こうと思った以外に特に感慨はない。昨日からの通勤の友は太宰治子『石の花』。なんとはなしに本棚からカバンに入っていた。
 写真はコデマリ。津市で鉢植えを買って川崎市の五月台に引越しした際に庭に植えたところ、4年間でどんどん大きくなった。上北沢も一軒家だったが、庭が狭かったので五月台において来た。いまごろ咲いているのだろうと思う。好きな春の花の一つである。