階段のことを考えながら飛行機に乗った。面白いもので、普段はあまり読むことのないANAの『翼の王国』をぺらぺらめくっていたら「神様への階段」というコラムが目に入った。丹生川上神社下社のことが書いてあった。ほとんど神ががりである。
 気のおけない友人たちとの食事中のことです。
「神社にあるキザハシって知ってる? 階段の階って書くんだけれど。すごいのがあるんだよ」とW大のO教授。最先端の工学を教える方から「神社の階」とは意外なお言葉。
 鳥居の先の拝殿からうっそうとした森の上に本殿があり、拝殿と本殿を結ぶ急な階段が「階」だという。普段この会談は使われないが、6月1日の「雨乞い」 例祭には会談の板戸が外されて神主と氏子たちが急勾配の75段の階段を上がってお供えをするのだそうだ。この神社は訪ねたことはないが、森の中を駆け上が るイメージなのだそうだ。
 そういえば、太古の出雲大社にも本殿にいたる巨大な階段があったとされる。
 大林組が『古代出雲大社の復元』(1989年11月10日学生社刊)で推定復元した平安時代中期から後期頃の「出雲大社」は高さ48メートル、15階建 てのビルに匹敵する木造建築物だが、21世紀になってからの発掘で大社町に巨大な柱の跡があったことが分かり、古代の出雲大社は空中楼閣で巨大な階段が本 殿に向かっていたことが裏付けられた。
 神社や仏閣に階段はつきもの。地上と天上とをつなぐ存在が階段だったのだ。そうか神社のキザハシには祈りの意味が込められているのだ。それにしても、ほとんど信仰を失った都市のサラリーマンたちは毎朝、祈りの行為を余儀なくされているのかと考えるとおかしくなった。